病める無限の芸術の世界

芸術に言い訳する方法ばかり考えています。

ベンヤミンのアウラとグッドマンの区別

ベンヤミンアウラという概念が昔から嫌いで、アウラをよく知らずに云々する我が大学の(主に実技の)諸先生方も嫌いでした。

けど芸術の存在論で真正性について取り組んでいる身として、アウラ概念に関しては考えねばならないと思っている。

グッドマンの発表をした後に、色んな方からこれって結局アウラ芸術とアウラない芸術の違いなんじゃないのとかも言われたりしたので、それについて色々考えました。

色々考えた結果をさくっとだけまとめておきます。

まず、ざくっとだけベンヤミンの複製・アウラ観についてまとめます。
ここで間違っていたらあとの議論もあれになってしまうのですが、ベンヤミン研究はやっていないのでそもそも論外な可能性があります。*1

ベンヤミンが言う複製の射程

  1. 芸術作品の複製:いわゆるモデル-コピー関係のコピーにあたるもの、模写など色々を含みます(邦訳*2 p. 10)
  2. 芸術作品の複製事例の制作:これはたぶんさらに下位分類を持ちます。下の分類はリトグラフで分けられるとは言っているけど、①と②の内実はそれぞれグラデーションだと思います。きっぱり分かれてない*3
    ①版画などのいわゆる機械的複製でないもの:ベンヤミンが言うにはリトグラフ以前のもの(邦訳 p. 11)*4
    ②写真や映画などの機械的複製:かなり精密にかつ大量にかつ迅速に行われる複製*5
  3. 自然に対する芸術による複製:諸芸術が再現(representation)するときの再現される対象の複製(邦訳 p. 17)。いわゆる模倣。

ベンヤミンアウラ観(価値の見方*6

  1. 一回性:アウラは、本物が「いま」「ここ」にあることで性質である。本来ある時空間的な座標にあることで持つもの(邦訳 p.15)。
  2. 礼拝的価値の数量的依存:礼拝的価値は、アウラを持つものに対するわれわれの観賞が多ければ多いほど(簡単であればあるほど)下がり、少なければ少ないほど(難しければ難しいほど)上がる(邦訳 p. 21)。そのため、展示可能性の高い絵画(タブロー、移動できる)ようなやつは、演劇などに比べると礼拝的価値が低い。

②と礼拝的価値の数量的依存としてまとめたところにポイントがあって、実はグッドマンの区別とベンヤミンの違いはここにある。

グッドマンのアログラフィック芸術[allographic art]は、アログラフ[異書体]という文字からわかるとおり、ある芸術家が制作した特定の事物とは異なる形や性質を持つものでも、同一性が保持される芸術のこと。

②の機械的複製は、どう考えてもあるオリジナルから制作されるもので、どの真正な事例をとってもどこかでオリジナルに行き着くはず(それはたぶんデータで制作された映画とかもそう)。そのため、アログラフィック芸術ではなくオートグラフィック芸術に属するはず*7

一方で、礼拝的価値の数量的依存を鑑みると、②が圧倒的に礼拝的価値を少なく持つことがわかる。そのため、オートグラフィック芸術に捉えられるべき写真や映画は、アウラをほとんど持たない芸術だと言える。

感想

最初は、この区別と一致させる方向で考えて、色々考えてみたのですが、無理っぽいです。無理なポイントが二つあって、ベンヤミンが音楽と文学に関してほとんど見解を示していないことと、その見解がめっちゃしょぼいこと。

明らかにベンヤミンは音楽ではオリジナルを演奏と捉えている一方で、版画では製版をオリジナルと捉えていたり、そもそも印刷技術によって爆発的に広まった文学についてほとんど言及していなかったりで、この二つを典型例として持つアログラフィック芸術とは対比しにくかった。

なにはともあれ、これはまだ考え始めたところなので、これからも色々考えていく。

Languages of Art

Languages of Art

 

 

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

 
複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

 

 

 

*1:さらに分析系の手法でやりますので、ベンヤミンの論を解体しているなどのご指摘を受ける可能性があります。

*2:邦訳はクラシックスのやつです。

*3:ベンヤミンの複製事例論はかなり微妙で、これらの複製が同一性を担保すると考えていたかどうかは微妙です。全ての複製は一回性持たない(邦訳 p. 12)ということは、ある美的ないし芸術的価値を欠いているわけで、その点で言えば別の作品になると思いますが、複製は同一の作品を大量に出現させるとも言っている(邦訳 p. 15)。

*4:ベンヤミンは、版画などでは製版をオリジナルと捉えている一方で、事例を複製と言っていることからもわかる。まぁ明らかに事例以外のものをオリジナルと想定するのは甚だおかしいが。

*5:ちなみにベンヤミンは、この2に属するものには真贋が問えないと言っていて、それは本当にあり得ない考えなのでやっぱベンヤミンの複製に対する考えは全く緻密でも精密でもないと思う。

*6:とりあえずここではアウラを価値概念として想定してます。

*7:写真や映画のオートグラフ/アログラフ性に関しては寡聞にして知らないのだけど、少なくとも僕の定式化ではオートグラフィックになる。