病める無限の芸術の世界

芸術に言い訳する方法ばかり考えています。

哲学若手研究者フォーラムで発表します

*追記(2016年6月8日 一部誤りがあったので訂正しました。)

題の通り、哲学若手研究者フォーラムで発表させていただくことになりました。
学部生で発表させてもらえるところは少ないので、大変ありがたいです。
けど、過去にも学部生で発表したことある人いるって聞いてたので何気なく申し込んでみたのに、Twitterの反応が「学部生で発表か、ほう」みたいな感じなので一気にぶるってきました。

内容としては、グッドマンのオートグラフィック/アログラフィックな芸術形式の区別ってなんぞや?ってのをやります。
その際に、贋作云々言ってきたのって全然うまく分節できてないんじゃない?そこ分節した上で問題圏を確定してから話をしようぜ。そんで複製の真正性の基準って結局古い芸術だけに通じるもんなんか?ってのを考えます。

まだ要旨は発表されていないのですが、僕の大変な勘違いで発表予定のものとかなり異なる要旨が出るはずなので、以下のものを見ていただけると助かります。

要旨

 芸術哲学は、芸術鑑賞が真正[authentic]であるかを問う際に、何が真正であるのかと、どう観賞すれば真正であるのか二つを問うてきたと言える。何が真正であるのかという問いの一つは、ただの贋作[forgery]や模造品[imitation]ではなく、真正であると認められる事例とはどのようなものなのかを探求してきた。その最初期の、かつ影響力を持った試みの一つに、ネルソン・グッドマンが提唱したオートグラフィックな/アログラフィックな芸術という区別が挙げられる。
 本発表は、グッドマンが『芸術の諸言語』において提起したオートグラフィック/アログラフィックな芸術という区別を吟味し、再定義することを目的とする。グッドマンの議論は、絵画などの芸術では贋作は可能だが、音楽などの芸術では贋作は不可能であるという直観から始まる。グッドマンは、その直観に従って、芸術を贋作可能なオートグラフィックな芸術と贋作不可能なアログラフィックな芸術に二分した。本発表は、同様の直観から、元々の区別と共外延的ながらそれ以外の芸術形式にも適用できるように、この区別の基準を精査することをめざす。グッドマンの議論はその後多くの批判に遭うが、それはこの直観による区別を理論化する際に持ちだした記譜法[notation]を用いた議論に瑕疵があるためである。しかし、グッドマンの記譜法の議論に見られる誤っているが鋭い洞察は、芸術作品の同一性に関与する特徴と関与しない特徴の分別可能性という、異なる区別を指摘している点で意義深い。
 本発表の流れを示す。第一章では、グッドマン自身がどのようにこの区別を規定していたのかを『芸術の諸言語』を中心に観察し、先行研究を踏まえることで、仮の定義を行う。その段階で、記譜法のみによる定義は捨象されることとなる。第二章では、グッドマンの外延を正しく保持するために必要な作用域を設定する。贋作は三つに意味に分けられ、グッドマンの指示した贋作は本質的参照贋作という意味しか持っていないことがわかる。第三章では、この区別の基準の反例ないし境界事例である機械的複製、デジタルイメージ、コミックをそれぞれ取り上げることで、第一章で行った仮の定義をさらに洗練する。結論として、オートグラフィックな芸術作品とは、オリジナルをその芸術形式に標準的な手法、道具、原料で直接転写した対象が、同一性に関与する特徴をすべて持つことができない芸術作品のことである。

上記の情報はすべて暫定なのでご注意ください。
どうぞよろしくお願いします。