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病める無限の芸術の世界

芸術に言い訳する方法ばかり考えています。

アーロン・メスキン「コミックの存在論」

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Meskin, Aaron. 2012. “The Ontology of Comics.” In The Art of Comics: A Philosophical Approach. eds. A. Meskin and R. T. Cook, 31–46. Oxford and Malden, MA: Wiley-Blackwell.

某読書会で読んだのであげときます。

メスキンとクックのコミック本のやつです。

ラウトレッジからカンパニオンも出るらしいのでそれも気になっている。 

The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics)

The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics)

 

 

The Routledge Companion to Comics (Routledge Companions)

The Routledge Companion to Comics (Routledge Companions)

 

 この論文はコミックの存在論的カテゴリを探求するものではないという前置きから始まる。
メスキン自身は何かしらのタイプと考えているっぽい。

問題になるのは、複数性、事例の作り方、オートグラフィックかアログラフィックかという三点。

色々説明があるが、結論は

  • 複数性:コミックは必然的には複数的でないが、標準的には複数的である。
  • どのように事例が作られるか:コミックは典型的には二段階芸術であり、事例は、デイヴィスが言うところの記号化と復号化によって制作される。一般的には復号化が事例の存在には必要だが、記号化それ自体が事例とみなされるものもある。この場合、一段階で制作されるものもある。
  • いつ真正な事例があるのか:コミックは(デジタルコミックでも)オートグラフィックと考えるのが最善である。コミックは参照的贋作を許容し、直接の転写は真正な事例を制作するのに十分ではない。

であるという。

まぁ既存の芸術の存在論のアイデアにコミックを当てはめてみましたよ以上の感じはあんまりなかった。

けどコミックの哲学には色々期待しているのでこれからも勉強はしていくつもり。 

 

*追記
この論文が雑だなと思ったのは、特に真正性の節。
ウェブ・コミックを(外延がかなり異なるのに)デジタル・コミックと同等のものと扱ったり、活字の文章(台詞やモノローグなど)をアログラフィックなものだとしていたり、そこそこ雑。
そこらへんをあれやこれやする発表をやる予定なので頑張りますよ。