病める無限の芸術の世界

芸術に言い訳する方法ばかり考えています。

『踊り場 vol.1』読んだ

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書誌情報がわからないのですが、『踊り場 vol.1』という雑誌を読みました。

編集長は芸術学科の後輩の野口翔平くん。
以下のサイトで、雑誌とepubとpdfのどれかの形式で購入することができる。

odoribamag.stores.jp

僕の学科は一応芸大の中にあるということもあって、5年〜10年に1回くらい在学生がこういう雑誌(ZINEというか批評誌というかなんというか)を作っている。

内容は、展覧会紹介、作家紹介、批評、美術に関わる情報と、よくある美術系の雑誌とそんなに変わらない感じだった。

素直な感想です。

最後の美術と技術の連載という野口くんの章は面白かった。

何故かというと、これはアートじゃない。少なくとも、アートの文脈に乗っかろうという意図や、これを作品にしようという気持ちは感じられなかった。

野口くんの活動は、アートって付されてもおかしくないようなことを、かなり日常的にやっていて、それを日常的にやるというアートにしてないところが面白い。

実際、絵を描いたり、写真したり、歌を歌ったりっていうのをアートとか創作とかの文脈にのせるのは僕も好きでない。(だからツイッタの落書きアカウントに創作とか描いてあるとぶち殺したくなる。)

美術と技術は本当に日常にできるし、それは普通におもろいことなんやなという感覚を勝手に読み取った。よかった。

微妙だったのは布施くんの章。

布施くんは、僕は面識はないけれど、図書館でビテチョウを読んでいたり、色々活動したり、やおきさんのロジカルに出てたりと、活動的だしすごいと思っている。

けれど、これを少なくとも批評(critic)*1として出すには、ちょっと勉強が足りない。

というか、絵画史を自分の論に寄せすぎている。それはいいんだけど、もっと説得力が欲しかった。

物語という軸にするにしても、これを批評としてしちゃうと、たぶんおえらいさんの(僕の嫌いな)批評家の人とかgnckさんとかに、絵画史のところもちょっとしっかりしろと叩かれると思う。

星野さんという人のは意味わからん。

ハイデガーの「衝突」とか言われても、意味わからん。『存在と時間』のことを多分言ってんのかな?

少なくとも、そういう概念を使うなら、原典とはいわんが、原語とかその意味とかくらいは示さんと、ただの権威主義にしか見えない。

なんかハイデガーに何かを感じていて、それを盛り込んだ詩にしたいなら、アリュージョンとかポリフォニーでもそういうことはできる。

てか普通はハイデガーって絵画との関わりの方が強いでしょう(ゴッホ)。

あと、フォントはもう少し吟味できると思ったのと、書誌情報が欲しかったかな。

色々言いましたが、たぶん出る限り買うので期待しています。

以下で自分の学科についての戯れ言

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芸大の芸術学科は結構スパルタな学科で、1、2年生のときは朝の実技、概説、語学などに追われて、あんまり好きなことができない。

2年生になると、古美術研究演習という授業で、アカデミズムっぽい匂いを染みこまされ、ようやく実技カリキュラムが終わり自分の好きなことができるときになると、もう研究室配属や卒論が待っている。

しかも先生方は芸術学では一流の方々ばかりで、単位は楽にとれるけれど、舐めた卒論を書こうという気持ちにはなりにくい。(少なくとも僕はそうならないし、それは僕が院進志望だからというのとは関係ないと思う)

その中でこういう活動をしているのは凄いと思うし、実際に野口くんの活動は面白い活動だと思っている。

余談だけど、僕の学科は、昔のことは知らんし一部の人はそうではないと思うけど、センターが3教科で8割くらいとれて美術予備校に通いさえすれば100%受かると思う。

そんなこんなで、あの東京芸大に受かる抜け道学科なのだ。しかも、アートをやっている場所としての芸大に憧れていて、ちょっと勉強ができる女子校の女の子とかにとっては、垂涎の抜け道に見えるのかもしれない。(体面としては、国立で安価だし、美術を学ぶ文学部みたいなもんでしょ?女子率高い大学だしね。)

実際、良くも悪くも美術大学の芸術学科っていうのはこういう立ち位置だと思う。

大森靖子という歌手(有名か)は、昔のインタビューで、こういうことをよく語っていた。この人はムサビの芸文だけど。

つまり、その入り口は色々あるけれど(たぶんpixiv、(純でない)文学、耽美趣味、バンドといったポピュラー系のやつと、ファイン系のアートといったハイアート系のものあたりの半々くらいだと思うけど)、そこを通ってアートを好んだ人にとって、芸術学科というのはちょろい学科なのだ。特に、高校とかから好きになった人ね、そういう人はデッサンでデザ科とかに入るのにビビる場合もあるだろうし。

芸術学科の学科新歓では、「アーティスト(大意)」の活動がしたいという人が、20人いたら3人くらいはいる。毎年いる。で、倍率4倍から5倍が平均だと思うので、100人受験者はいるわけだけど、その中には20人から30人くらいはそういう人がいると思う。

しかし、そのうちの多くの人が先にあげたスパルタカリキュラムと、なかなか展覧会やアーティスト活動ができるほどの人脈を広げられなくて、なぁなぁの卒業をしていくというのが実情だと思う。

これは微妙によくない。

もっとアーティストとしてでも、こういった活動でも、アカデミアめざすにしても、色々活発さが欲しい。

僕は勉強会開いたりして、芸学の美学をもっとどうにかしようとすることしかできないけど、そういうのが西洋美術史や日本美術史にはないし(つーか西洋の院生になるくらいなら作品作家論やるにしても、それに逃げないでヴェルフリンとかヴィンケルマンとかゴンブリッチとかくらい読めよ)、アートとか批評とかにもこういうのがもっとあるといいなと思う。

特に、グローバルアートプラクティス云々のやつで、批評系やアート系の人が今後とられていくのだから、芸学はどうにかしないと思う。

どうにもならなさそうならどこかに逃げるに限る。

 

*追記(2月18日)

この記事たぶん芸大の色んな人が見てくれたんですけど、そっから色々考えていた。

なんとなくもやもやが晴れた結果、自分が自分の学科の人に望んでいることは、その人のCVに芸大入学・卒業以外で芸術に関わる記述が残されるような人が増えていけばいいなということだとわかった。

それは展示とか企画とか批評とか論文とかがありえるけどそういう人が増えればよいなという思いがある。

別に立派な業績を残せとかではなくて、趣味・特技の欄になんか芸術に関することが書いてあるとか、そういうのでいいんだけどね。

なんていうか、なんにもないまま卒業してなんとなく芸術のことを忘れて、なんとなく芸術に興味があったことも忘れていく人って結構いる(他の学科にもいるだろな)し、それよりかは、なんかのあれが残ってくれればいいなという。

他人についてどうこう言っても意味がないんだけど、そういうのが増えればいい気がする。

けど、芸大に在学してるのに「これまでの展示」の欄にデザフェスとかしかないやつだけはぶっ殺す、お前はpixivにかえれ。

*1:原本では、critiqueとなってますが、これだと批判という意味が強くなってしまう。『純粋理性批判』のcritiqueだし、英語圏だとこっちは批判、criticが批評という使い分けがある。