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病める無限の芸術の世界

芸術に言い訳する方法ばかり考えています。

ジェロルド・レヴィンソン「真正な演奏と演奏手段」

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Levinson, Jerrold. 1990. "Authentic Performance and Performance Means." in Music, Art, and Metaphysics, Oxford: Oxford University Press, 393-408.

Music, Art, and Metaphysics: Essays in Philosophical Aesthetics

Music, Art, and Metaphysics: Essays in Philosophical Aesthetics

 

レヴィンソンの古い方の音楽の哲学に関する本*1からオーセンティシティ(真正性*2)の問題に関する論文。

スティーブン・デイヴィス(Stephen Davies)の真正性(オーセンティシティ)に関する議論に変更と追記を加えて述べた論考。

攻撃対象の論文はこれ。Davies, S. 1987. "Authenticity in musical performance." The British Journal of Aesthetics, 27(1), 39-50.

Ⅰ:スティーブン・デイヴィスの真正性

スティーブン・デイヴィスは、

ある作品の演奏の真正性(オーセンティシティ)は、作曲家が譜面で公に表現した決定的な意図に対する忠実性(faithfulness to the determinative intentions publicly expressed in a score by a composer)の問題である。

としている。

そして、真正性は、

  • 作品が初演された(was premiered)社会的環境(social milieu)を再生産しようとはしない
  • 特定の歴史的演奏にマッチするかではなく、実際には存在しないでもいい理想的演奏のクラスの基準に近づくことである
  • そして厳密には、作曲家が表現した決定的な意図に適えば満たされるものであり、[作曲家が]同時に持っていた(concurrent)が表現されなかった願いや、その[作曲家の]時代の(their)演奏例に従うことでは満たされない
  • そのため、様々に鳴り響く演奏は同様にそして理想的に正統的であることができる

ものであるとデイヴィスは定義する。

レヴィンソンは、"What a Musical Work Is."などからも分かる通り、演奏手段が音楽作品の存在論的立場やある演奏がその作品に真正であるかどうかという問題に、演奏手段が強く関わっていると論じる。

この論文の目的は、演奏の真正性には、結果としての鳴り響き(sound)だけでなく演奏手段も美的に関わっていると論じること。

Ⅱ:演奏手段と音の生成プロセスの美的重要性

この章では、具体例があげられる。
結構数があるので、抜き出してまとめる。

完全に音色を操るシンセサイザー(Perfect Timbral Synthesizer:PTS)による演奏

モーツァルト《セレナーデ》K. 375は、スフォルツァンドの管楽器ユニゾンで始まる。このような音は警笛音(honking)という性格を持つ。
しかし、これがPTSによって達成された場合は、この性格は失われるとレヴィンソンは考える。

身振り(gesture)

鍵盤楽器を用いたグリッサンドは、音の動きそれ自体に、鍵盤上を掃くような動作を創造させるということが含まれている。
そのため、聴覚的な鳴り響きだけでは、その身体的な身振りとの相互作用を持つグリッサンドの意味は達成されない。

速度の印象

ある旋律が急進的(rushed)かどうか判断するとき、人間の行動が参照されている。
例えば、オルガンの足鍵盤で急進的な楽節と呼ばれるものは、ピアノで同じ楽節を弾いたときには急進的だとは思われないだろう。

 

レヴィンソンは、作曲家の意図した(楽譜に現れた)音の生成プロセスを経て初めて、美的重要性の認知的側面が達成されるので、演奏手段や生成プロセスは重要であるとする。

 

Ⅲ:音響主義者(sonicist)への反論

音響主義者(sonicist)は、結果としての音響が作曲家の意図に適っていればオーセンティックな演奏でありうるとする論者である。
その理由として、耳に届く鳴り響きの背後には必ず、楽器編成が何であるかという私たちの想定が含まれており、それが演奏の美的性格を作っている、というものをあげている。

それにレヴィンソンは3点あげて反論する。

認識と知覚の結び付き

例えば、PTSを使ってオーケストラで演奏されるはずの楽曲を演奏している集団が目の前にいたとする。
その場合に、私たちはそれがオーケストラによる演奏であると想像するのは難しい。
このような場合、音響主義者は無理難題を聴衆に押し付けてしまう。
そのような演奏は真正とは程遠い。

身振り

音響主義者は、真正な演奏は音としての現れ(appearance)だけでよいとする。
しかし、真に表現的で美的な性質は、特定の音調と音色の複合を随伴(supervene)する。
そしてそれはもちろん、その複合が達成されるような特定の器楽的な手段と演奏とが結びついているときのみである。

楽器の奏者(Instrumentalists)

ある楽器Zのために書かれた作品Wの諸演奏を比較する自然なやり方は、Zとその身振りが内的に備えている(inherent)本質を考慮し、また過去のZ奏者とを比較して、どのようにZ奏者が音楽とそれに含まれる身振りに対処しているか尋ねることである。

ZやZ奏者の含まれないWの演奏を発見したら、その評価ができなくなる。

Ⅳ:レヴィンソンの主張

古楽に関する問題は、依然として残されている。
古い時代の楽譜は、その次代の楽器で演奏されるよう意図されているが、現在そのように演奏されることはあまり多くない*3

レヴィンソンは、古楽器の代わりにモダン楽器を使うことは、真正でないと考える。
なぜなら、音色が根本的に変化し、音響も変化するだけでなく、それは作曲家が意図していたのとはまったく異なる演奏だからである。

Ⅴ:結論

まとめ

演奏の真正性は、音響それだけでは分析されず、演奏手段や演奏の生成プロセスにも関わっている。
その真正性を正しく認識するためには、楽器・身振りなどに精通する必要がある。

そのためには、

  • 音楽が演奏されるのを観察すること(observing)
  • どのように諸楽器が組み立てられているのか知ること
  • 諸楽器を扱い検査すること
  • 器楽編成法の発展の歴史を学ぶこと
  • 幅広く聴取し、様々な音とそれぞれの音が可能な効果を誘導すること
  • 実際に楽器を練習し演奏すること

などが挙げられる。

 

 

*4

次回の現音美は!

8月28日13時開始です。
藝大図書館グループ演習室でやります。
読む論文は、Davies, S. 1999. "Rock versus classical music." The Journal of Aesthetics and Art Criticism, 57(2): 193-204. です。
この論文は、ロックの美学を(少し)推し進めたデイヴィスの論文で、ロックとクラシックの評価基準の話をしてます。
新参加者の方を常にお待ちしております!
詳細はこちら

現代の音楽美学勉強会

 

ちなみにそのまた次回はこのレヴィンソンの論文にデイビスが再反論したやつを読む予定です。
Davies, S. 1990. "Violins or Viols?: A Reason to Fret." The Journal of Aesthetics and Art Criticism, 48(2): 147-151.
その次はそろそろ存在論に帰ってきて純粋プラトン主義のやつを何か読んで、唯名論とか音楽作品存在しない主義とかのやつ読みたい。

 

*1:新しい方これです。読みたいけど持ってない。

 

Musical Concerns: Essays in Philosophy of Music

Musical Concerns: Essays in Philosophy of Music

 

 

*2:はじめ、正当性としてしていたけれど、松永さんのツイートを見て真正性にした。

僕も真正かな〜とは思っていたけど、贋作の文脈で使われるgenuineに真正を使いたいような気もする。というか論文とかに書くならオーセンティシティ・オーセンティックそのままでぶちぬくのがよさそう。
追記 レヴィンソン編集のハンドブック↓みてたらgenuineとかauthenticは一緒だよってダットンが言ってました

 

The Oxford Handbook Of Aesthetics (Oxford Handbooks Series)

The Oxford Handbook Of Aesthetics (Oxford Handbooks Series)

 

 

*3:HIP: Historical Informed Performance という概念が存在していることを教わりました。つまり楽譜が出来た演奏に近づけた演奏のことです。

*4:勉強会告知です。