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病める無限の芸術の世界

芸術に言い訳する方法ばかり考えています。

永岡都「音楽的意味の生成と音楽における感情の機能(1):L. B.マイヤーとP.キヴィによる音楽的感情の解釈をめぐって」

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永岡都「音楽的意味の生成と音楽における感情の機能(1):L. B.マイヤーとP.キヴィによる音楽的感情の解釈をめぐって」
(學苑, 765, 72-85, 2004-6)

せっかく音美のどちらもの実技と研究がなされている藝大にいるのだからと音楽美学にも触れてみようと思い読んでみた。
とりあえずと少しなりとも堆積のある情動論や意味論に関連しており、キヴィについてのものである論文を選んだ。
永岡都さんは調べるとうちの大学の出身で、とても面白い論文をある程度広範に射向して書き続けている。すごい。


まず、序文で現代の音楽美学者(ニュー・ミュジコロジスト)の研究傾向が示される。

第一に、音楽全体ではなく個々の現象から意味を捉えようとすること。
当たり前の明言だが、
個々の作品や様式の差異を越えて、音楽の意味を普遍的な一つの概念で捉えることのできる全能の分析法はもはや存在しない。

この文が今更書かれなきゃいけないってのは、音楽においても分析系の考え方はまだまだ根が張ってないんだなって感じがする…。
第二に、「音楽内的」と「音楽外的」の2つの意味領域を統合しようとすること
ここでは、音楽体験によるどんな感情であっても、音楽外のことを思ってその感情を抱くのではなく、その感情は音楽そのものから由来するという考えから、「純粋音楽的(purely musical)領域」と「音楽外的(extramusical)領域」とは区別できないことが示される*1

音楽美学初学者でまともに読んだ本は『ニューミュジコロジー』と『音楽美学入門』くらいだけど、なんとなくで理解できるのは、こういった分析系とかの新しい美学の中で語られる前提や傾向がいちいち明記せざるを得ないほど、思想において分析系の手法は根付いてないってこと…。
序文ではこのほかに、音楽とナラティブの関係みたいなものも軽く触れられているんだけど、それは今やってる論文集と『narrative and narrater』を読んでからの方が面白そうなのでそのうち。

そして、「音楽的意味(musical meaning)」と「音楽的感情(musical emotion)」について考察が始まる。

 

*1:もちろん、音楽によって想起されるものに抱く感情というのはここでは無視されていて、それについてはウォルトン(1990)の情動論によって支持されるのかもしれないけれど、ウォルトンの情動論自体をそのまま音楽の情動には適応できないのが難しい。来年頭にウォルトンの新刊が出るみたいで、その副題に「music」が冠されているからそれに期待したい。もちろん僕のdigりが浅いことは反省のうえで…。