病める無限の芸術の世界

芸術に言い訳する方法ばかり考えています。

グッドマン『芸術の言語』ブックフェア:担当箇所解説

ネルソン・グッドマンの『芸術の言語』が刊行されて三ヶ月ほど、『芸術の言語』刊行記念のブックフェアが行われます。

以下のサイトに詳細がありますが、私は「芸術作品の真正性」という項目を担当しました。

新しい古典がやってくる!『芸術の言語』刊行記念フェア「グッドマン・リターンズ」特設サイト| 企画:慶應義塾大学出版会 協力:勁草書房

芸術の言語

芸術の言語

 
Languages of Art

Languages of Art

 

 

以下では、あんまりうまくかけなかった解説の補足など。

「真正性 authenticity」というのは、簡単にいうと何かが本物であること。

この真正性という概念は、主に芸術作品の存在論という分野で研究されている。
なぜなら、何かがその何かであること(同一性)というのは、存在論で研究されることが多いからである。たとえば、まったく異なる聞こえを持つ二つの演奏が、その違いにかかわらずなぜ同じ作品に属するのか、など。何がその作品の本質で、何がその本質でないのかを、芸術作品の存在論は問題にする。

真正性という概念は、音楽作品における分析を筆頭に、贋作・複製、アプロプリエーションなどの領域で議論されている。少しずつ見ていく。

まず、真正性という概念はとりわけ音楽作品に関して議論されてきた。
なぜなら、音楽作品という複数的芸術作品は、同一性条件を定めるのが難しいから。なぜ同一性条件を定めるのが難しいかといえば、事例ごとにほとんど違いのない文学作品などとは違い、音楽作品の事例である演奏にはかなりの違いがあるから。
そのため、多くの芸術の存在論者は、音楽作品を個別化するための条件について議論してきた。
一方で、音楽学者たちは、1970年代くらいから、音楽作品の歴史的に最も正しいとされる演奏とはどのようなものであるべきかを考えてきた。それが、historically informed performance とか、historically authentic performance と呼ばれてきた。
そのため、音楽学や音楽美学は、この概念と同一性や例化や個別化に関わる意味での真正性をどう接続するのかという問題も扱ってきた。
これに関しては、今のところ選書した『ニュー・ミュージコロジー』所収のゲーア論文とキヴィ論文くらいしか日本語でアクセスできるものがない。いずれ音楽学の人とかと研究して論文にしたい。 

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

  • 作者: 福中冬子,ジョゼフ・カーマン,キャロリン・アバテ,ジャン= ジャック・ナティエ,ニコラス・クック,ローズ・ローゼンガード・サボトニック,リチャード・タラスキン,リディア・ゲーア,ピーター・キヴィー,スーザン・カウラリー,フィリップ・ブレッド,スザンヌ・キュージック
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2013/04/28
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログ (8件) を見る
 

その同時期に、主に芸術哲学の文脈で、贋作論が少しだけ流行っていた。
これは明らかにグッドマンが提示した「完璧な贋作 perfect forgery」の問題に端を発している。これに関しては、ぜひ『芸術の言語』をとってどのような想定をグッドマンがしていたのかを見てほしい。
作品の存在論の隆盛、グッドマンやダントーというビッグネームが贋作や複製と同一性の問題を扱っていたことなどが、この小さなはやりを作ったといえる。
日本語で読むには、私の卒業論文を読むのが最もよいと思う。メールください。

ertb.hateblo.jp

そして、近年はアプロプリエーションアートが芸術の存在論の文脈にのりはじめ、真正性概念の研究は徐々に復興しつつある。
アプロプリエーションアートは、簡単にいえば、別の作品と見た目がほとんど変わらないのに、別な作品だとされているもの。シェリー・レヴィーンや、ウォーホルなどが代表例とされる。
僕はやはり美学者としてなんらかの芸術事象に動機づけされていない問題を面白いと感じているので、近年のコンセプチュアル・アートやアプロプリエーション・アートの美学的考察の隆盛はよいと思っている。
こちらも残念ながら日本語ではまだ何も読めそうなものがない。

 

とりあえずばばっと書いたので、あとで追記する。

卒論を書いたことなど。

めっきりこのブログを放置している間に卒論が完成していました。

岩切啓人. 2016. 「複製可能な芸術形式とその基準——ネルソン・グッドマンの区別を再定義する」東京藝術大学美術学部卒業論文.

芸術作品の存在論です。分析系です。それも、ネルソン・グッドマンという方の芸術作品の存在論の問題をやりました。グッドマンを選んだ理由は色々ある。まず、芸術作品の存在論で大家になっているのはグッドマン(Languages of Art)かウォルハイム(Art and its Objects)かインガルデンUntersuchungen Zur Ontologie Der Kunst: Musikwerk Bild Architektur Film)くらいしかいない。あと分野的に偉いことをやってる人は、スティーブン・デイヴィスやデイヴィッド・デイヴィス、グレゴリー・カリー、エイミー・トマソンなどなどいるが、大家感があんまりない。特に、ウォルハイムは結構偉いはずなんだけど、日本ではほとんど知られていないので選択できなかった(英語も難しいし)。インガルデンはぜひやりたいが、そのときは仏語受験するつもりもあったしで、やめた。勉強はしていたし、それで論文を書くつもりもある。もうひとつの理由として、僕自身があんまり芸術作品の存在論的カテゴリの話に興味がない。それは人工物一般で論じればよいだろうという気持ちと、芸術形式ごとに全然違うやろみたいな気持ちがあるからでもある。僕はもっと芸術特有の話、真正性とか複製とか贋作とかそういうところに興味があったので、結果的にグッドマンになった。グッドマンは芸術形式の区別を多元論的に見るのがすごいうまい人なので、結果的にはよかった。付言的な理由としては、芸術形式をいっぱい研究しているのと、グッドマンは描写の哲学でも仕事をしているので、それもよかった。これからさきの勉強につながりそう。

僕としてはそこそこよいものが書けたのでは?と思っていましたが、院試の面接で論証スタイルや議論の方針などについて色々突っ込まれました。論証をするときには敵をたてたほうが強度が高まるとか、否定した論者を最後再評価するとよいとか、普通の論文のスタイルのはずなんですけど、僕はそういうのがなかなかできてなかったみたいです。残念や。

中身はばらして論文化する計画があるので、ここでは公開しません。オートグラフィック/アログラフィック芸術という区別とはなんぞやという論文です。連絡をくれればお送りします。
連絡先:keitoiwakiri@gmail.com もしくは @ertb_ertb 

今はアプロプリエーション・アートだったり、JASRAC問題で著作権関係があつかったりなので、僕ももっと研究していけたらなと考えています。とくに、いまだにベンヤミンで複製を論じるのはもう時代遅れやということを声高に主張していきたいです。

ご恵投:ネルソン・グッドマン『芸術の言語』戸澤義夫・松永伸司訳

慶應義塾大学出版会様より、ネルソン・グッドマン『芸術の言語』戸澤義夫・松永伸司訳を頂きました。皆様ありがとうございます。

原本はこれですね。

Languages of Art

Languages of Art

 

この本以降の接続や翻訳の経緯などは、訳者の松永さんのこれを読んでいただければよいと思います。

9bit.99ing.net

この本は、言うまでもなく、20世紀英語圏美学の本5つ挙げろと言われたら100%入るような本でしょう。実際に現代美学界をリードするノエル・キャロルも挙げている(The Philosophy of Art - Five Books)。ちなみにこのインタビューはなんとなく面白いです。仏独伊語でもとっくのとうに翻訳を出してますし、特にフランスではグッドマンから影響を受けた分析美学者がそこそこいます。

僕は具体的には第三章、第五章、第六章の訳文チェックと用語リストの下書きを作りました。ちょっとだけしか見てないですが、僕の訳語が採用されているところもちらほらありそうです(score 譜とか)。

とりあえず、皆様お疲れ様でした。みんな読みましょう。読むために買いましょう。高い場合は図書館に買ってもらいましょう。

カロル・タロン=ユゴン『美学への手引き』のグッドマンのところ

カロル・タロン=ユゴンの『美学への手引』(文庫クセジュ、2015年)のやつを読みました。まぁ読みやすさはあるけど、たぶん原著ではこれは「(任意の哲学ターム:例えば外延とか)」のことを言っとるんやろなーという語に一般的でない訳語があてられていたり、訳は読みやすさ偏重だなという感じです。

自戒も込めてだけど、なんていうか美学の人は20世紀の人(主にフランス人やドイツ人の)の理論をコネコネして作家や作品になんか語った気になるのではなくて、ちゃんとまず足場になる哲学を学ぼうよという気持ちになることが多々ある*1。ので学んでいるしもっと学びたいと思っている。

まぁ、分析美学の扱いが微妙だというのは知っていた(↓)のだけど、こういう訂正は誰かが入れておかねばならんだろうと思ったのでいれます。

 

くだんの箇所は、p. 123の最後の段落。

たとえば、ネルソン・グッドマンは反本質主義者として、ひとつの対象が美的であるのは、それが五つの「徴候」ないしは指標によって性格づけられるような仕方で象徴的に機能するときだ、と考えます(『世界制作の方法』1978年)。五つの徴候とは、①文脈の厚み、②意味の厚み、③飽和、④範例化、そして⑤多重参照です。ユゴン『美学への手引』(p. 123)①〜⑤は僕が振りました。

原文を確認していない(*追記:しました)のであれですが、グッドマンのいう五つの「兆候」とは、統語論的稠密、意味論的稠密、相対的充満、例示、多重で複雑な表示、です(Goodman, Ways of Worldmaking, 67-68. 和訳, 130-131)。

上から、どのような二つの符号(記号)の間にも三の符号(記号)が存在すること、対象のあらゆる違いをあらわす符号が必ず存在すること、記号のより多くの側面が有意であること、表示が単純でないこと、をそれぞれざくっと意味しています。詳しくは、和訳の前掲ページに説明がのっているので、それだけでも読めばわかると思います。詳しくは今度出るであろう『芸術の言語』の翻訳を見よう。

訳に関して。原文に出てくる引用された文献を原書で読めとはさすがに言いませんが、和訳が存在するうえにそれを文中でしっかり「参照」しているのにこのような訳になっているのはまったく意味がわからないですね。さらに、density[原仏文ではdensité]を厚みとか repleteness[仏:saturation]を飽和とかはわかります*2が、統語論syntacticを文脈、例示exemplifyを範例、表示referenceを参照にしている時点で、訳者の哲学の素養をかなり疑っています。

本文に関して。僕の中でグッドマン美学の主要な「うまみ」は、描写の哲学と存在論の二つにあって、それぞれグッドマンの記号主義的美学が色濃く現れているところだと思うので、そこを引かずに「美的なものの兆候」っていうマイナーなとこを引いてるというだけで、「あ、グッドマン読めてないのでは」という気がしないでもないです。まぁこれは愚痴です。それよりも、ワイツの芸術の定義のあとにこれ出しても「???」という感じにしかならんやろ…というのがでかいです。グッドマンはそもそも芸術を明確に定義することを避けているし(「何が芸術か?」から「いつ芸術か?」に転換させたことを思い出す)、美的なものと芸術をともに記号システムから説明しているけど、同定はしてない。「美学は美・感性・芸術から成る!」とかいっといてその美的なものと芸術の定義を分けて理解できてないのは結構やばい。

グッドマンは仏語圏だと積極的に紹介している二人の論者がいて、Roger Poivet と Jacques Morizot といい、特に Morizot は仏語圏の分析美学第一人者圏グッドマン紹介者で、グッドマンに関する単著・共著を3冊も出してるのに。

これ以上は愚痴になりそうなのであれですが、やっぱ日本語訳が出ているものくらいは翻訳する際に参照したいですよね。というか全部参照するのが研究者の仕事やろという気がします。

*追記
もう一本日本語論文でこのような誤りをしている論文があったのですが、それは紀要論文だしグッドマンの哲学に興味のある人しか読まないだろうし、グッドマンの哲学に興味のある人なら分かる誤りから成り立っているので、そちらはほっときます。

*1:美学ではなくて最近はやりの近隣の領域ではないか?とか、しっかりとした研究に基づいたそのようなコネコネもあるという反論はもっともだと思います。そういうのは念頭においてないです。あとよくわからんのは、哲学や美学の人がよくやりがちな、ある哲学者の原典以外には参考文献が1つや2つしかないみたいな発表や論文。昔の論文だとこういうの多く見ますね。

*2:仏訳がrepletenessをsaturationにした意味はわからんけど。

ベンヤミンのアウラとグッドマンの区別

ベンヤミンアウラという概念が昔から嫌いで、アウラをよく知らずに云々する我が大学の(主に実技の)諸先生方も嫌いでした。

けど芸術の存在論で真正性について取り組んでいる身として、アウラ概念に関しては考えねばならないと思っている。

グッドマンの発表をした後に、色んな方からこれって結局アウラ芸術とアウラない芸術の違いなんじゃないのとかも言われたりしたので、それについて色々考えました。

色々考えた結果をさくっとだけまとめておきます。

まず、ざくっとだけベンヤミンの複製・アウラ観についてまとめます。
ここで間違っていたらあとの議論もあれになってしまうのですが、ベンヤミン研究はやっていないのでそもそも論外な可能性があります。*1

ベンヤミンが言う複製の射程

  1. 芸術作品の複製:いわゆるモデル-コピー関係のコピーにあたるもの、模写など色々を含みます(邦訳*2 p. 10)
  2. 芸術作品の複製事例の制作:これはたぶんさらに下位分類を持ちます。下の分類はリトグラフで分けられるとは言っているけど、①と②の内実はそれぞれグラデーションだと思います。きっぱり分かれてない*3
    ①版画などのいわゆる機械的複製でないもの:ベンヤミンが言うにはリトグラフ以前のもの(邦訳 p. 11)*4
    ②写真や映画などの機械的複製:かなり精密にかつ大量にかつ迅速に行われる複製*5
  3. 自然に対する芸術による複製:諸芸術が再現(representation)するときの再現される対象の複製(邦訳 p. 17)。いわゆる模倣。

ベンヤミンアウラ観(価値の見方*6

  1. 一回性:アウラは、本物が「いま」「ここ」にあることで性質である。本来ある時空間的な座標にあることで持つもの(邦訳 p.15)。
  2. 礼拝的価値の数量的依存:礼拝的価値は、アウラを持つものに対するわれわれの観賞が多ければ多いほど(簡単であればあるほど)下がり、少なければ少ないほど(難しければ難しいほど)上がる(邦訳 p. 21)。そのため、展示可能性の高い絵画(タブロー、移動できる)ようなやつは、演劇などに比べると礼拝的価値が低い。

②と礼拝的価値の数量的依存としてまとめたところにポイントがあって、実はグッドマンの区別とベンヤミンの違いはここにある。

グッドマンのアログラフィック芸術[allographic art]は、アログラフ[異書体]という文字からわかるとおり、ある芸術家が制作した特定の事物とは異なる形や性質を持つものでも、同一性が保持される芸術のこと。

②の機械的複製は、どう考えてもあるオリジナルから制作されるもので、どの真正な事例をとってもどこかでオリジナルに行き着くはず(それはたぶんデータで制作された映画とかもそう)。そのため、アログラフィック芸術ではなくオートグラフィック芸術に属するはず*7

一方で、礼拝的価値の数量的依存を鑑みると、②が圧倒的に礼拝的価値を少なく持つことがわかる。そのため、オートグラフィック芸術に捉えられるべき写真や映画は、アウラをほとんど持たない芸術だと言える。

感想

最初は、この区別と一致させる方向で考えて、色々考えてみたのですが、無理っぽいです。無理なポイントが二つあって、ベンヤミンが音楽と文学に関してほとんど見解を示していないことと、その見解がめっちゃしょぼいこと。

明らかにベンヤミンは音楽ではオリジナルを演奏と捉えている一方で、版画では製版をオリジナルと捉えていたり、そもそも印刷技術によって爆発的に広まった文学についてほとんど言及していなかったりで、この二つを典型例として持つアログラフィック芸術とは対比しにくかった。

なにはともあれ、これはまだ考え始めたところなので、これからも色々考えていく。

Languages of Art

Languages of Art

 

 

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

 
複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

 

 

 

*1:さらに分析系の手法でやりますので、ベンヤミンの論を解体しているなどのご指摘を受ける可能性があります。

*2:邦訳はクラシックスのやつです。

*3:ベンヤミンの複製事例論はかなり微妙で、これらの複製が同一性を担保すると考えていたかどうかは微妙です。全ての複製は一回性持たない(邦訳 p. 12)ということは、ある美的ないし芸術的価値を欠いているわけで、その点で言えば別の作品になると思いますが、複製は同一の作品を大量に出現させるとも言っている(邦訳 p. 15)。

*4:ベンヤミンは、版画などでは製版をオリジナルと捉えている一方で、事例を複製と言っていることからもわかる。まぁ明らかに事例以外のものをオリジナルと想定するのは甚だおかしいが。

*5:ちなみにベンヤミンは、この2に属するものには真贋が問えないと言っていて、それは本当にあり得ない考えなのでやっぱベンヤミンの複製に対する考えは全く緻密でも精密でもないと思う。

*6:とりあえずここではアウラを価値概念として想定してます。

*7:写真や映画のオートグラフ/アログラフ性に関しては寡聞にして知らないのだけど、少なくとも僕の定式化ではオートグラフィックになる。

哲学若手研究者フォーラムで発表してきました

題の通り、哲学若手研究者フォーラムで発表してきました。
researchmapとか個人サイトとかないんでここに資料あげときます。

「複製不可能な芸術形式とその基準――新しい芸術への適用可能性――」
12MBあるので携帯の方とかご注意ください、あとベン図は誤ったベン図だし誤字脱字もいっぱいあります。論文化できたらもっといい感じの論文にしたいです。

ざくっと内容を述べると、グッドマンのオートグラフィック/アログラフィック芸術の区別って、贋作可能性にしろ記譜法にしろ何にしろ、もっと明瞭化が必要だよね。ってのをやりました。

あと自分の定義も出してみたのでそれやれてよかった。

Languages of Art

Languages of Art

 

 

以下雑感。

・まず楽しかった

まず二日間フルで参加して、勉強になり楽しかった。
何よりも、あ、学会発表ってこういうふうに行って、それに質問者はこういうふうに対処するんだなってのがよくわかった。
美学会にいったときは、なんかよくわからん質問とかが多かった記憶があるので。単純に僕の議論レベルが少しだけ上昇しただけという話かもしれないけど、少なくとも分析系の哲学の議論argumentってああいうもんだよなという実感があった。

・初めての学会発表で緊張した。
 のとお金がかかるのがわかった。

自分の研究室は研究発表の資料が印刷できないので自腹を切ったが、かなりかかる。大型の学会だともっとかかるだろうから、それは改善しなきゃいけない。
あと原稿読み上げ形式で作ってたら文字数長くなっちゃったのでフリースタイルで発表したのですが、それのほうがよかったかもしれない。次からはその点も踏まえて、コンパクトなレジュメにすればいいかもしれない。

・意外と平均年齢が高かった

僕は若手フォーラムという名前だけあって、修士・博士の人がほとんどで、一部の学部生とポスドクという感じかと思っていましたが、博士・ポスドクが一番多かったような気がします。
だから何というわけではないですが、若手フォーラムはすごくいい学会だったので、なんでもっと若年の人は参加しないのだろうと思った。というか哲学をやっていて若手フォーラムに参加しないという人はなんなのだろうかと思った。

セオドア・グレイチック「音楽と情動」

Gracyk, T. 2013. On Music. NY: Routledge.
Routledge から出てる Thinking in Action シリーズの音楽本。
勉強会で読んでます。
今回は第三章で、音楽と情動に関する章。

On Music (Thinking in Action)

On Music (Thinking in Action)

 
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デイヴィッド・サマーズ「様式」

David Summers, “Style”, in David Summers, Real Spaces: World Art History and the Rise of Western Modernism (London: Phaidon, 2003), 68–72.

英米圏の超安牌アンソロジー所収の論文です。
ずっと美術史に興味があるので、これはいい本だと思ってます。

The Art of Art History: A Critical Anthology (Oxford History of Art)

The Art of Art History: A Critical Anthology (Oxford History of Art)

 
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哲学若手研究者フォーラムで発表します

*追記(2016年6月8日 一部誤りがあったので訂正しました。)

題の通り、哲学若手研究者フォーラムで発表させていただくことになりました。
学部生で発表させてもらえるところは少ないので、大変ありがたいです。
けど、過去にも学部生で発表したことある人いるって聞いてたので何気なく申し込んでみたのに、Twitterの反応が「学部生で発表か、ほう」みたいな感じなので一気にぶるってきました。

内容としては、グッドマンのオートグラフィック/アログラフィックな芸術形式の区別ってなんぞや?ってのをやります。
その際に、贋作云々言ってきたのって全然うまく分節できてないんじゃない?そこ分節した上で問題圏を確定してから話をしようぜ。そんで複製の真正性の基準って結局古い芸術だけに通じるもんなんか?ってのを考えます。

まだ要旨は発表されていないのですが、僕の大変な勘違いで発表予定のものとかなり異なる要旨が出るはずなので、以下のものを見ていただけると助かります。

要旨

 芸術哲学は、芸術鑑賞が真正[authentic]であるかを問う際に、何が真正であるのかと、どう観賞すれば真正であるのか二つを問うてきたと言える。何が真正であるのかという問いの一つは、ただの贋作[forgery]や模造品[imitation]ではなく、真正であると認められる事例とはどのようなものなのかを探求してきた。その最初期の、かつ影響力を持った試みの一つに、ネルソン・グッドマンが提唱したオートグラフィックな/アログラフィックな芸術という区別が挙げられる。
 本発表は、グッドマンが『芸術の諸言語』において提起したオートグラフィック/アログラフィックな芸術という区別を吟味し、再定義することを目的とする。グッドマンの議論は、絵画などの芸術では贋作は可能だが、音楽などの芸術では贋作は不可能であるという直観から始まる。グッドマンは、その直観に従って、芸術を贋作可能なオートグラフィックな芸術と贋作不可能なアログラフィックな芸術に二分した。本発表は、同様の直観から、元々の区別と共外延的ながらそれ以外の芸術形式にも適用できるように、この区別の基準を精査することをめざす。グッドマンの議論はその後多くの批判に遭うが、それはこの直観による区別を理論化する際に持ちだした記譜法[notation]を用いた議論に瑕疵があるためである。しかし、グッドマンの記譜法の議論に見られる誤っているが鋭い洞察は、芸術作品の同一性に関与する特徴と関与しない特徴の分別可能性という、異なる区別を指摘している点で意義深い。
 本発表の流れを示す。第一章では、グッドマン自身がどのようにこの区別を規定していたのかを『芸術の諸言語』を中心に観察し、先行研究を踏まえることで、仮の定義を行う。その段階で、記譜法のみによる定義は捨象されることとなる。第二章では、グッドマンの外延を正しく保持するために必要な作用域を設定する。贋作は三つに意味に分けられ、グッドマンの指示した贋作は本質的参照贋作という意味しか持っていないことがわかる。第三章では、この区別の基準の反例ないし境界事例である機械的複製、デジタルイメージ、コミックをそれぞれ取り上げることで、第一章で行った仮の定義をさらに洗練する。結論として、オートグラフィックな芸術作品とは、オリジナルをその芸術形式に標準的な手法、道具、原料で直接転写した対象が、同一性に関与する特徴をすべて持つことができない芸術作品のことである。

上記の情報はすべて暫定なのでご注意ください。
どうぞよろしくお願いします。

セオドア・グレイチック「言葉と一緒に、言葉を離れて:理解して聴取する」

Gracyk, T. 2013. On Music. NY: Routledge.
Routledge から出てる Thinking in Action シリーズの音楽本。
勉強会で読んでます。
今回は第二章で、音楽の理解に関する章。

On Music (Thinking in Action)

On Music (Thinking in Action)

 
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アーロン・メスキン「コミックの存在論」

Meskin, Aaron. 2012. “The Ontology of Comics.” In The Art of Comics: A Philosophical Approach. eds. A. Meskin and R. T. Cook, 31–46. Oxford and Malden, MA: Wiley-Blackwell.

某読書会で読んだのであげときます。

メスキンとクックのコミック本のやつです。

ラウトレッジからカンパニオンも出るらしいのでそれも気になっている。 

The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics)

The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics)

 

 

The Routledge Companion to Comics (Routledge Companions)

The Routledge Companion to Comics (Routledge Companions)

 
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セオドア・グレイチック「耳に触れる以上のもの:音楽と芸術」

Gracyk, T. 2013. On Music. NY: Routledge.
Routledgeから出てるThinking in Actionシリーズの音楽本。
勉強会で読んでます。
今回は第一章で、音楽の定義と音楽は芸術家という問題に関する章。

On Music (Thinking in Action)

On Music (Thinking in Action)

 
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フリースタイルダンジョンから入った人向け おすすめアルバムまとめ

バズってる記事の追記です。 

ertb.hateblo.jp

ホントはこっちの方に熱量使いたかったんだけど、ちょっとバズりの対応とかで今は元気がない。

なので前の記事で言えなかったことと聞きやすいアルバムを10枚にしぼって紹介します。ぶっちゃけ絞るの無理なので、出演者関連のやつ多めです。つまり、鉄板アルバムとフリースタイルダンジョンの次に聞けそうな奴の折衷案みたいな感じです。色々足りないという声はわかるのだけどごめんよ。それはみんなでやってくれ。

色々いっぱい紹介はできるけど、それ全部やるのはヒップホップ*1ファンの人にとっては意味ないし、フリースタイルダンジョン(以降FSD)から入った人にとってはおもたすぎるので。

だから、あげたアルバムの中から何か一枚でも選んで聴いてみてくれたら嬉しいなーということです。

フリースタイルダンジョン見てるけど、次何聴けばいいの?って人向け。

古典的作品と、聴きやすい作品を混ぜて書いたつもりです。
セレクトに色々文句が出ると思いますが、そういう人は自分のオススメアルバムも紹介してくれると、見てる人もいいかと思います!

前の記事でもそうやって書いたつもりなんですが、僕はヒップホップの門戸は広く開かれてる方がいいと思ってます。

だからこそ、その門戸を開くだけでなく、その道の深さと面白さを示すためにこういう記事があるのはいいことだったと思ってます。

アルバム単位で紹介しますが、ちょっとめんどいって人もいるかと思います。
また、楽曲単位の定番も知りたいという方もいそうです。
なので。微妙なのも混じってるけどこの再生リストはyoutubeにある中じゃわりと定番が押さえられてるので、これも聴くといいと思います。

www.youtube.com

一応古い順で。

いとうせいこう《MESS/AGE》(1989)

MESS/AGE

MESS/AGE

 

FSDから入った人は、いとうせいこうのことなんか渋いけど変なコメントするおじいちゃんみたいに思ってませんか。
もしくはいとうせいこうは知ってるけどキナ臭ぇ文化人気取りだと思ってませんか。

んなことないですよ。
いとうせいこうは、日本にヒップホップという土壌を作った人です。
「ヒップホップの初期衝動」でも言ってますが、オールドスクールど真ん中世代を生き抜いてそれを日本語でやろうみたいに考えて、かつ実現した人はこの人しかいないんじゃないですかね。

www.youtube.com

スチャダラパー《タワーリング・ナンセンス》(1991) 

タワーリング・ナンセンス

タワーリング・ナンセンス

 

スチャダラパーはかなり有名ですね。
小沢健二とコラボした「今夜はブギー・バック」は普通にJ-POPの歴史にも入ってると思います。

聴き直してになる人も結構いるんじゃないかな。聞きやすさは高いですね。

僕はスチャダラパーみたいなラップも好きなんですが、これ以降になると、こういうおもしろい感じのラップじゃなくて、もっとHIP HOPらしいヒップホップをやってこうという動きがどんどん強まっていきます。

Nasの『Illmatic』にがっつり影響を受けたような世代が続いていきます。 

・King Giddra(キングギドラ)《空からの力》(1995) 

空からの力:20周年記念デラックス・エディション [デラックス盤(CD+DVD)/完全限定生産]

空からの力:20周年記念デラックス・エディション [デラックス盤(CD+DVD)/完全限定生産]

 

FSDのオーガナイザーでもあるZeebraさんとK DUB SHINEDJ OASISからなるKGDRの鉄板アルバム。

たぶんどのJ-ヒップホップ史を紐解いても、このアルバムがさんぴんCAMP*2以前(というかJ-ヒップホップ史の)のアルバムの最高傑作と言われていると思う。

それくらい完成度が高い。
単純に、ラップがうまい。

英語混じりでどうこうするとかではなく、日本語でしっかりライミングする基本が全部押さえられてる。タイトルから見てもわかる押韻

大定番すぎて説明のしようがない。それくらいすごいアルバム。ジブさんかっこいいからみんな聞こう。

BUDDHA BRAND《病める無限のブッダの世界》(2000)

病める無限のブッダの世界 ― BEST OF THE BEST (金字塔)

病める無限のブッダの世界 ― BEST OF THE BEST (金字塔)

 

僕の個人的に好きなアルバム。

だけどブッダブランドは普通にJ-ヒップホップの古典だから全然個人的な推薦とかではない。

DEV LARGEがなくなってもう1年くらいになるのかと驚いた。
日本語ラップと英語のラップの折衷をしてる中でもダントツでかっこいいアルバム。一番好きなアルバムかもなー。

NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDNITRO MICROPHONE UNDERGROUND》(2000)

 

NITRO MICROPHONE UNDERGROUND[Def Jam edition]

NITRO MICROPHONE UNDERGROUND[Def Jam edition]

 

ナイトロは特殊で、日本語とちょっとの英語を使ったカッケーバースが8人くるくる入れ替わりながら展開されるのがかっこいい。

こんなにレベル高いバースが入り乱りで入れ替わってるのを聞けるので鉄板なのはあとはmuroのchain reactionとかかしら。

https://youtu.be/ErEagALVBKA

 

・SHINGO02《緑黄色人種》(2003) 

緑黄色人種

緑黄色人種

 

日本語中心→英語的→日本語中心ときたので英語的な人としてshingo92をを。

タイトルがまずやばいですよね。
SHINGO02はバイリンガルで、やっぱここらへんの日英がっつり使い分けるラッパーが出てきたあたりから、フロウ、ライム含めたラップのレベルはがつんと上がってきた気がする。

それは日本語しかしゃべれないラッパーの人にも確実に影響を与えてるので、2000年前後のラップがはやったのもさんぴんやそれ以前のギドラとかの功績とか以外にこういうのもあると思います。

*追記
shingo02について書こうと思ってたのと推薦アルバムに齟齬がありました。
shingoは確かにバイリンガルでばりばりですが、曲によって日本語と英語をスイッチしているので、このアルバム自体はもろ日本語です。申し訳ありません。
英語は例えばこれ。

www.youtube.com

RHYMESTER《グレイゾーン》(2004) 

グレイゾーン

グレイゾーン

 

今の人たちの聞き心地も考えて、新しいアルバムをあげましたが、RHYMESTERっていうのは、夏目漱石森鴎外が一緒になったみたいな人で、日本のヒップホップにおける功績は計り知れないです。

さんぴんから、B-BOY PARKから、功績がでかすぎる。

これ聴くのめんどいよーって人は「耳ヲ貸スベキ」と「B-BOYイズム」だけでも。

www.youtube.com

www.youtube.com

KREVA《愛・自分博》(2006) 

愛・自分博

愛・自分博

 

たぶん、一番ヒップホップフリーク以外の人にも売れたヒップホップのアルバム。

オリコンもとってるし。

僕は別にJ-ヒップホップ史のベスト10枚を選んでいるわけではないので、こういうのも入れちゃう。

KREVA自身はセルアウト*3とか言われることもあるけどね。僕はとりあえずは何でも知ってみるのがよいと思ってます。

実際スクエアのリズムで刻むKREVAは聴いてて心地よいよ。

・ANARCHY《Diggin' Anarchy》(2011) 

Diggin’ Anarchy

Diggin’ Anarchy

 

ちょっとあんまりゲットーとかギャングスタ的なものを紹介してなかったので、ANARCHYを紹介。MSCはあとで紹介します。

1st、2ndアルバムががっつり人気になった、京都のゲットー*4出身のANARCHY。

けどこれは、そんなゲットー精神を全面に押し出してるアルバムじゃなくて、わりとANARCHY自身がそれまでと違うことやろうとしてるアルバムなので、ANARCHYの中では勧めやすいかな。 

けどアナーキーはどれきいてもかっこいいです。一番好きです。ファーストも聞いて。

・AKLO《THE PACKAGE》(2012) 

THE PACKAGE

THE PACKAGE

 

10年代の代表として、いわゆるSWAG系から一本。

Saluにするか迷いましたが、まぁAKLOでしょう。
FSDのrec-1のファーストライブがAKLOだったことからも考えて、シーンの注目度的にも10年代を代表してる。
AKLOはフリーダウンロードアルバムから人気が出たというのもあり、現代的だなーと思います。。

現代的なEDMっぽいビートに、いわゆるSWAG系(おれかっけー、おれつえー系と言えばヒップホップでない人にはわかりやすいかも)のライムで固く乗せてくスタイル。

RGTOは最近の曲だとかなりコンビニとかでも聞きましたね。

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じゃあ次出演者関連のおすすめアルバム。

・般若《HNNYA》(2009)

HANNYA

HANNYA

 

たぶん、FSD見てる人の思ってる般若は、UMBで優勝したあとのこのアルバムに一番現れてるんじゃないかな。

面白い楽曲やらなんやら入ってるのは上のアルバムです

僕は《内部告発》(2006)が好きなんですけどね。 

内部告発

内部告発

 

MSC《MATADOR》(2003)

マタドール

マタドール

 

みんな大好き漢さんが所属するMSCのファーストアルバム。

《帝都崩壊》にするか《導-みちしるべ 》にするかめっちゃ迷ったけどこれにしよう。

前回の記事で、GADORO対漢さんの試合とか、輪入道対漢さんの試合のライムを少し紹介したけど、それがいっぱい入ってるのがこれだからこっちにした。というか、漢さんは何聴いてもかっこいいから安心して。

前の記事でも言った通り、MSCってのはLibra Recordから何枚かアルバム出してる。だから《帝都崩壊》や《導-みちしるべ 》じゃなくて、こっちにしたってのもある。

《導-みちしるべ 》とかソロのアルバムであんなに完成度高いのないから聴いてね。
これamazonのプライム会員の人は、プライム・ミュージックで《導-みちしるべ 》聞けるから是非聴いてみて。Libraに金落とさずに聞けるよ。

漢さんはホントカッコイイから。

サイプレス上野とロベルト吉野ザ・ベストテン》(2013) 

サ上なんかこれっての思い浮かばなかった…。

サ上はなんかアルバムだけに魅力があるってより、その他のラジオとかトークとかも含めていいラッパーだと思うので、水曜日10時半からのyokoham j-waveのラジオとか聴くのもいいかも。Rとかゲストで出てたし、フリースタイルも聞ける。

・2WIN《BORN TO WIN》(2015) 

BORN TO WIN

BORN TO WIN

 

T-Pablow所属の2WINのデビュー・アルバム。
T-Pablowはこのアルバムよりも今のFSDのラップの方がうまいんじゃねと思えるくらいどんどんラップがうまくなってきてるのでホントに注目ですね。カッコイイ。

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一曲目のFire BurnとかはYoutubeで聴けます。かっけぇ。

個人的には自分の境遇とかの投影も含めてPain Awayが好きです。

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T-Pablowはファンも増えてそうなので活躍が確実視される。

・Creepy Nuts《たりないふたり》(2016) 

たりないふたり

たりないふたり

 

FSDでアツい勝負をばんばんかましてるR-指定と童貞DJのDJ松永とのコンビ。
まぁこれが一番入りやすいかな。次としてオススメです。

YoutubeのCreepy Nutsのチャンネルで何曲かPVあがってるからそれの視聴もできるよ。

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R-指定は、ぶっちゃけ前の《セカンドオピニオン》はMIXとかも微妙だから、ビートの重要さとかR-指定の天才なりの苦悩とかを伺うのにはいいけど、単純に耳を喜ばせるかというと微妙。

次審査員枠ですが、疲れたので軽めにいくます。

韻踏合組合《一網打尽 Remix feat. NORIKIYO, SHINGO☆西成, 漢》(2014)

一網打尽 REMIX Feat. NORIKIYO, SHINGO☆西成, 漢

一網打尽 REMIX Feat. NORIKIYO, SHINGO☆西成, 漢

 

アルバムでないですが許して。疲れてきちゃった。

審査員のERONE所属の韻踏合組合から。
韻踏はこれを押さえておくと最低限の話ができます。 

*追記

ツイッターでこれに関する文句見かけたけどごめんなさい。韻踏はすごいけど、たぶん今のヘッズだと一網打尽くらいしか知らんだろという気持ちで書きました。アルバムもいっぱいあるから借りて聞いてね。ごめんよ。

韻踏合組合はその名の通りの押韻主義で、かつ日本語主体。
大阪を一大拠点として西のボス軍団です。

あと漢さんのverseめっちゃかっこええです。

ラッパ我リヤラッパ我リヤ伝説》(2000) 

ラッパ我リヤ伝説

ラッパ我リヤ伝説

 

漢さんがrec-5のあとに「この音楽でとるコンタクト、山田マン参上」と言ってましたが、その山田マンと隠れモンスターだったMr. Qの所属するラッパ我リヤのアルバム。

gadoroにも色々言われてましたが、押韻主義のアルバムなのでライミング好きな人は是非。

 

拙者が運転者とかKen the 390は疲れたので誰か補足してください。

 

 

最後に、ヒップホップっていうのはこれ全部知らなきゃダメとかじゃないんですよ。
僕だってUSオールドスクールはあんまり知らないし。
ヒップホップっていうのは、こういう壮大なカルチャーに位置しているんだ、そしてフリースタイルダンジョンを通して自分もそれを少しは知っているんだということを知るだけでも、僕は十分だと思います。
こういうのは興味持ってくれた人だけで十分。

洗濯物干すのもHIP HOPです。

 

*1:前回書き忘れましたけど、ヒップホップには中心的な文化として、ラップ、DJ、ダンス、グラフィティがあります。
一応付言的に。

*2:さんぴんというのは、それ以前と以降で歴史が変わったと言われるほどの大事件です。
Buddha BrandDEV LARGEやKing Giddra、RHYMESTER、カミナリなどの大物グループのメンバーがこぞって参加し、日本におけるヒップホップを基礎付けたイベント。

T-PABLOWは「さんぴんを俺らで再現」とか歌ってます。

*3:簡単に言えば、人気と売上にはしって信条を捨てたりして楽曲作る人のことをいいます。色んな人が言われたりしてるので、そんな統一的に誰々はセルアウトって確定してるわけじゃない。SEAMOとかはその気が強いけど。

*4:元々はドイツの迫害地域をさすんだけど、広義ではニューヨークとかの大都市近郊にあるスラムの一種。特に密集地域を指すことが多い。HIP HOPではUSの方でゲットー出身者が活躍したこともあって、ステータスの一つ。

フリースタイルダンジョンについて思うこと

*結構反響がでかいので、ちょっと分かりやすく脚注を足しました。
本文はいじってないです。

ーーー

 

今フリースタイルダンジョンが流行ってますね。
テレ朝火曜深夜のフリースタイル番組です。

はじめは番組の存在を知らなかったけど、一週目があったときに大学のヒップホップ聴かない友人が山下ことACE*1のキャプチャをツイッターにあげてて、それで「なんでACEがキャプられてんだ?」ってなって、その人に聞いて調べてみて番組知った。

普通にアツいし普通にヤバイし、毎週見てた。

ここ2, 3週間くらいで、かなりTLで見かけるようになった。
アルファのツイッタラーもばんばん言及してるし、流行ってると間違いなく言える(ちなみに、ネットでヒップホップが言及されるときは大体「ラッパーは感謝ばかりしてるな」と2ちゃんねらーが言うくらいか、ジブさんの「東京生まれ、ヒップホップ育ち、悪そうな奴は大体友達」が揶揄されるかが基本だったと思います*2)。

実は、ヒップホップブームってのは、かつてもあった。
ジブさんとかライムスターがシーンを作ったとこで一般の人にも人気でたKREVAとかが出てたときとか。
けど、これまでの言及は馬鹿にされるときばっかりと言ったように、ヒップホップが日本の音楽シーンに定着してるかと言われると、微妙に定着してない。
たぶん、Hilcrhymeとかファンモンとかで、微妙に存在はしてるけど、定着してるよねとは言いがたいのがヒップホップファンの実情だと思う。

そこには、ヒップホップという文化(大事)の本質が強く関わってる。

そんで、それが理解されてないから、流行ってても今後はしぼんでくだろうなという感じがする。

別に見はじめた人は全然悪くないし、たぶんこういう記事とかがいっぱい出てきて「フリーク」と呼ばれる人がしてく仕事かもしれない。
けど、こういうのがあるんだよってことだけでも分かってくれると、僕の仕事としてはいいかなと思う。

今の受容を見てから説明を試みる。
ヴァイヴスだけで書いてるから荒いし適当なのでそこはごめんなさい。

少なくとも、ヒップホップにおけるフリースタイルダンジョンは、かなり特殊な受容をされてる。

まず、基本ネットで広まってる。
Youtubeアーカイブで上がってるってのがでかいと思うんだけど、ネットの言及や小さい記事から広まっていった印象がある。
まぁこれは今はほとんどのものがネットから流行ってくって現状があるから仕方ないのかもしれない。
けどこれは結構特殊な感じがする。
なぜかというと、ネットラップがそこそこ流行った頃*3くらいから、ネットとストリートみたいな構造が地味に存在してるから。
高校生ラップ選手権みたいな、ネット世代の人たちの大会でも、ネットラッパーは馬鹿にされがち(僕はANATOMIAくんもILL-Cくんも嫌いでないです)。
それこそ高校生ラップ選手権はティーンの人しかでないので、高校生ラッパーのファン(自身もティーン)とかは高校生ラッパーのアカウントとかフォローしたり、追っかけみたいなのをするのも普通になってる。

それはあくまで、ネットを使ってるだけでネット的な受容ではない。
まぁ音源買ってLIVEに行ってっていうのが基本的な手段なのは変わりなし。

けど、フリースタイルダンジョンは、ネット的な受容にもばっちり成功してるのがさらに特殊。
それまでもネット使った宣伝は普通にあった。けど、フリースタイルダンジョン見るまでヒップホップ知らなかった人が存在してる時点で成功してなかったのもわかる。Libraの(大事)UMB youtubeとか*4
ネット的とざくっと言っちゃいましたが、簡単にいうと、「色んな人に色んなことを適当に言いながら受容されていく」のが凄く達成されてる。
例えば、いまやネットの世界の一角を色んな意味で大きく陣取っている腐女子層にも受けてる。
モンスターのカップリングをしたり、キャラ付けしたりしてる(おそ松さんがキャラ立ってんのと一緒で、キャラ立ってるからカップリングしやすいよね、僕はドン引きしましたが*5)。

他には、小さな批評みたいに構造をマンガと対比させて若き天才T-Pablow、三枚目サイプレス上野、抜群の実力を持ったR-指定、ボスキャラ漢、ラスボス般若みたいなのも見ました。
あとは物語一般の構造、「こんなもんか〜」「実力発揮してく」「大物登場」「ラスボス登場」「若手の正当」みたいなのにかこつけて説明してるのも結構みた。
僕はそういうのを好んでみようとするタイプではないのですが、30分ツイッター検索しただけであれよあれよと出てきた。

すごい。
流行ってるなと思いました。

一方で、こりゃまたヒップホップは日本に根付かずに少ししたらしぼんでくだろうなと思いました*6
ヒップホップ的な受容されてないやん!それなのにヒップホップって流行っていくことできんの?と思いました*7

なんでかというと、ここにヒップホップというものそのもののあり方が関わっています。

ヒップホップというのは、まず「ラップ」ではありません。

ラップというのは、「押韻」をしながら言葉を音楽にのせる歌唱方法全般のことを言います。
だから吉幾三から水曜日のカンパネラからR-指定から電波少女まで、全部ラップ。

それに対してヒップホップというのは、文化です。
今はまだ、MCバトルのラップの部分(それと見る人だけが見て取ることのできるカップリングとか漫画的構造とか)が流行ってるだけで、こっちがはやってないんだろうなと思います。
文化というのは定義が難しいしできるもんでもないので、僕も箇条書きみたいに条件を書いてくだけになりますが、ここらへんを外しているのはヒップホップとみなされないでしょう(複数条件の選言的定義みたいな感じのうち、より本質的なものだけ取り出したみたいな)。
フリースタイルダンジョンとからめて説明します。
あとUSラップの話じゃないので、ブラック性とかそういうの抜きにしていきます。基本の基本みたいな。

  1. ラップがある。
    これはまぁ基本です。ラップがないやつをヒップホップと呼んでいる事例はさすがに見たことないです。結果として韻踏めてないMCバトルとかはあるけど、さすがに楽曲単位では知らない。
    さすがにフリースタイルダンジョンに呼ばれるような人でラップができない人はいないので、ここは問題なし。
  2. 文脈をすごく重んじる。
    ここがかなり今のフリースタイルダンジョン受容に欠けてるとこ。
    一言で言って、ヒップホップは引用と奪用の織物です*8
    ぶっちゃけ!
    この点を抑えずにヒップホップについて行われる語りは全部ダサいっすよ。少なくともヒップホップ的なヒップホップの語りではない*9
    どういうことか。
    rec1からフリースタイルダンジョンを見てきた人は、最初こんなもんかーって感じだと思う。おもろいけどね。
    熱くなってくるのは、CHICO CARLITOとか焚巻が出てきたあたりから。
    たしかにチコカリはアツいっすね、Libraの(大事)*10UMBもとったし、ラップうまいし。
    そんでそれまでの挑戦者と比べて圧倒的にうまいチコカリが、バンバン駆け上がって、rec1で出てくることのなかったR-指定(実力は聖徳太子ラップで証明済み*11)と当たる。
    アツいっすよね。
    1verse目、チコカリもアツいしRもアツい。
    2verse目、チコカリがちょっと外したところをRが実力で叩きのめす。Rカッケー。
    いいっすね。
    じゃないんですね。
    違うんですよ。
    チコカリはあからさまラップもうまいけど、ヒップホップ度もダンチなんですよ。
    チコカリは、サ上戦の1verse目の入りから、がっつりサンプリングなんですよ。
    サンプリングっていうのは、DJが作るビートについても、ライミングについても言われるもので、要は先人のいいところをパクるというやつです。
    パクるんだけど、騙して自分のものとして出すんじゃなくて、自分のものと混ぜ込んで、新しいものとして出すことね。
    『24bars to kill』という漢さんも出てる曲の、まるっきり入りのANARCHYのところをサンプリングしてます。なぜなら、このバトルのビートが『24bars to kill』だから。ちなみに般若さんも入ったremixもあるよ。
    しかも、サ上はしっかりラストで「24barsでkillするだけさ」と返してる(負けるけど)。
    そういうのも含めて、勝敗がついてる。
    それがわかんないとヒップホップのよさは全然分かんないっすよ。
    いとうせいこう*12も言ってたけど、ヒップホップのクレバーなところはここにある。し、そのクレバーなところがわかんないで楽しんでるのは、楽しいけどヒップホップじゃないし、クレバーじゃない*13

  3. ファッション、生き様、スタイル的なものと関わっている。
    これも大事。
    特に見返してみるとrec5とかこれめっちゃ大事。
    ヒップホップは、楽曲だけのものではなくて、文化とさっき言いました。
    うまくいえないし、ギャングスタとかオールドスクールとかでヒップホップにも色々あるんだけど、生き様で証明してなんぼみたいなとこがあります。
    僕は漢さんよりヒップホップな人間を知らないんだけど、その漢さんが9sariから出した(大事)『my money long』(入場曲ね)のサビ(ヒップホップではhookと言うよ)では、
    「これはただの音楽 だが実は音楽ではない なぜなら
    スキルを身につけるだけじゃ駄目
    生き様で証明するまでは
    目的はただ一つ 札束をたらふく頂く
    氷山の一角から始まる計画で叩く電卓」
    というのがあります。
    後半には、
    「俺なら正真正銘"ラッパー" 種仕掛けもある言葉のマジシャン
    生き方こだわるこの音楽 さらさらまともにやるつもりもない」
    とあります。
    そこら辺も、ヒップホップの評価には含まれます。
    例えばですが、殺人者に殺人するなと言われても説得力ないじゃないですか、俺はA社の人間やないよ〜とか言いながらA社の人間っていうやつ*14とかダサいじゃないですか、そういうことです。
    実例に即します。
    rec5、gadoroと漢さんのバトル。
    gadoroいきなり「サラサラまともにやるつもりもねぇ、命さながらで掴む夢」と固い韻で入ります。
    そりゃ固いですよ、サンプリングですもん。
    けど、これは漢さんが所属するグループMSCの楽曲「音信不通」のサンプリングだから、いきなり漢さんへのアッツイリスペクトから入ってる。
    続けて、「新宿のアウトロー」これも漢さん。
    続けて「拡声器集団に投げ込んでやるぜライムの手榴弾」拡声器集団とはMSCのこと、「集団」と「手榴弾」は『24bars to kill』のサンプリング。
    しかも最後は「破り捨ててやるぜお前の『ヒップホップドリーム(漢さんの本)』」。
    リスペクトがめっちゃ篭ったアッツイdis。
    漢さんの返し、これが重いの重いのなんの。
    言×the answerに「言葉が軽い」とか言ってたときの重さってのはこれですよ。服がどうこう言ったとかではなくて、こういう重みなんですよ。
    要約すると「まだドリームはかなってないから破くこともできねぇ」というものです。
    これ、実はめっちゃアツいんですよ。
    『my money long』のとこでも、「札束をたらふくいただく」とか言ってるじゃないですか。
    漢さんのドリームは全然かなってないんですよ実際。
    2/24日にも会見してたけど、漢さんはMSCとしてCD出してたかつての所属レコードLibra Recordと訴訟してます。
    何されてたかというと、売上未払いと従業員への暴力。
    詳しくは『ヒップホップドリーム』かyoutubeにあがってる会見を見よう*15
    で、全然お金もらってないと。だから訴訟に勝ってこれまでの「札束をたらふくいただく」必要があって、9sariという自分のレーベルをのし上げてかなきゃいけないんですよ。
    全然ドリームかなってない。
    だからあの返しは結構重い返し。
    けど漢さんクリティカルで負けちゃう。
    だけど、gadoro、終わった後に漢さんに一礼(gadoroはLibra嫌いでLibraのUMBにも出てない)。
    漢さんもgadoroには全然怒ってない。
    アツいし重いし、けどすっきりした試合。
    けど、晋平太には怒ってんだよね。
    gadoroと漢さんの試合の前にジブさんが言った「漢、いつもと違うね、余計なこと聞かない方がよさそうですね」に対して、漢さんは「聞いてもいいですよ、テレビに出られるならば」と言います。
    テレビに出られるならばっていうのは、Libraとの訴訟のこともあって、Libra側の人間である晋平太とのいざこざや、UMBという商標をどうするかという問題がある*16から言った言葉。
    実際そのあと見てみてください。晋平太だけ笑ってないので。
    だから、そのあとでの「ドリームかなってないから破けない」は本当に重い。
    漢さんは、Libraでの扱いにすごい怒ってるから、『my money long』でも
    「やっぱり法律犯したり 人騙したりはせずに金儲け
    アホくさいけど 満更バカには出来ない」
    と言ってます。そう考えると、晋平太のやってることは全然ヒップホップじゃないし、そこに怒ってるあの漢さんのバースは重い。
    そこら辺わかるかわかんないかで、「えー漢さん負けたのなんで〜」的な反応じゃなくて、あれがどんだけアツかった重い試合かってのが初めてわかるようになる。

ここまで言えばなんとなく(僕の熱量のうざさも含めて)わかったと思います。
ラップだけじゃないんですよヒップホップは。

というのが言いたかったことです。
けど、R-指定が新譜の中の楽曲『みんなちがって、みんないい』で言っていたように、色んなものがあっていいと思います*17
そして今のフリースタイルダンジョン人気は、一ファンとしてすごく嬉しい。
まわりで普通にヒップホップの話ができるってだけで嬉しいですよ。
好きな音楽は?ヒップホップです。あ、感謝とか重んじるタイプ?リスペクト?あのあれプチョヘンザ?的な扱いはもう嫌なんですよ。

だから、フリースタイルダンジョン受容は、どんな形であれ嬉しい。
けど、仮にこんなに流行っててもヒップホップが根付かないとしたら、それは寂しい。
たしかにこんなに重たい文脈押さえるのは大変だと思うけど、いずれフリースタイルダンジョンから入った人向けの鉄板アルバムまとめみたいな記事書くんで、ちょっとでも興味あったら勉強して欲しい。輪入道が漢さんとやってるときに言った「無言の蓄積」もサンプリングなんだ〜。わかってくれ〜。

というヴァイヴスです。

*追記:
反響でかかったし僕のも荒い仕事だから色々な意見をネットで見た。
ほんとにありがたいし、ほんとにヒップホップ流行ってんだなと嬉しくなった。

僕の意見をまとめます。

フリースタイルダンジョン最高、そして感謝!*18
そしてフリースタイルダンジョンを楽しんでくれてる人、楽しんでくれてるだけでもう大感謝!
だけど!ヒップホップの文脈とかスタイルを知ると、もっと面白くなるから、興味持った人だけでも色々知ってくれると嬉しいよ!
楽しみ方に良いも悪いもないから、よりヒップホップらしい受容もトライしてほしい!

ということです。

 

*1:ネタバレになっちゃうけど、後の隠れモンスターになる人。B-BOY PARKっていうでかい大会で優勝したことある実力者。B-BOY PARKは、始まった1999年からKREVAが三連覇した大会なんだけど、始まったときの始まり方がなぁなぁで、ヒップホップ流行ってきたけど決着つけるために大会にすんぞ!的な感じだった。
参照↓

MC漢・ダースレイダー 日本のMCバトルの歴史とUMBの未来を語る

*2:こういうのもあるくらい。
ヒップホップに親に感謝する曲は殆どありません - Togetterまとめ

「ラッパーは感謝ばかりしてるな」にも元ネタあるからdigってね。

*3:正確にはネットラップ全盛期とニコラップ全盛期は全然食い違うので、ニコラップ流行った頃の方が正しいです。
ネットラップはこれまたわりと複雑なシーンなので、今回は解説しません。いつかsたいです。

*4:UMBで検索検索ぅ!
ちなみにこれ、UMBの各予選チャンプのフリースタイルとか見れておもろいですよ。
けど、Libraが儲けてるってことだけは理解して欲しい。

*5:no offence
これ、腐女子の方からあまりに反論が多いので注釈します。
僕は、「モンスターのカップリングをしたり、キャラ付けしたりしてる」のにドン引きしただけで、特定の腐女子の人にドン引きしたりはしていません。
今まで見たことないもの見たときにドン引きしたというそれだけのことです。no offenceと注釈もつけているので、何卒お手やわからな判断をしていただくと助かります。

*6:あくまで、ヒップホップね。ラップじゃないよ。
あとこれだから悪いってわけじゃないよ。
僕が言いたいのは、ヒップホップ的な受容はされてねぇじゃん!このままならヒップホップ廃れね!?ってことです。

*7:重ねていいますが、そういう受容が悪いわけじゃない。

*8:バルトとかクリステヴァを想像した方はそれでヒップホップを勝手に論じてください

*9:ヒップホップ的な語りでないだけで、それがヒップホップを楽しんでないってことは言ってないよ。どんな楽しみ方でもいいと思う。ジブさんとかそういうスタンス。

*10:大事というのはあとにもでてきますが、漢さんが作った大会の商標を、漢さんなどのアーティストや従業員に暴力働いたり、給料未払いしてたりした会社がとったわけ。
まず漢さんは、なぁなぁに始まったB-BOY PARKじゃなくて、しっかりとしたMCバトルの大会を作ろうと思った。
そっから2005にUMBってやつを所属するLibraとともに作った。
あとで語る騒動のおかげで、今は漢さんはLibraにいなくて9sariっていうレーベルをやってる。
だからLibraのUMBっていうのは大事。
僕はホントのUMBってのはKING OF KINGSのことだと思ってるし、そうあってほしい。
KING OF KINGSっていうのは、漢さんがLibraと別れたあとに作ったMCバトルの大会。おもろいし、アツい人がいっぱいでてるよ。

*11:聖徳太子ラップわかんないひともdigって

*12:この人めっちゃ偉大だかんね

*13:いちゃもんつけられたので僕の意見を明確化させると、あくまでヒップホップの楽しんでる部分が違うってことね。
ヒップホップをヒップホップとして楽しむのには、色んな文脈が必要。
だけど、なくても楽しめるよ。聞いてて楽しいもん。
けど、ヒップホップはヒップホップとして残っていくためには、これが必要。

*14:拙者が運転者〜のことです
運転「しゅ!」

*15:これこれ。

www.youtube.com

*16:Rが三連覇したUMBは漢さんが作った大会。だけど、権利はLibraにとられちゃってる。ホント残念。晋平太は、そこら辺はっきりさせるからテレビに出るってなってたのに、実はLibraのアーティストだって分かって、漢さんはすごく怒ってる。まぁ漢さんがテレビに出てるって自体やばいんだが。

*17:けどこれ、色んなスタイルのラッパー(ヒップホッパーではない)をどんどん呈示していく曲で、最後「みんなちがって、みんないい」でまとめるんですけど、その皮肉的性格は誰を揶揄ってるかわかんないとわからないという、すごいヒップホップ色の強い楽曲。すごい。
ちなみに、僕の感じだと
言×the answer
CIMA
HIDADDY
チプルソ(saluかと一瞬思った)
わかんない(抹かな?と思ったけどラップのタイプは違う、jinmenusagiかとも思ったけど歌詞のタイプが違う)
Charles
コムアイ(daoko感もある。コムアイは顔可愛いし)
ファンモン
呂布カルマ
MC松島(saluかと一瞬思ったけど)
KOHH
っぽいタイプのやつらがそれぞれ揶揄されてるんで、これらそれぞれを知らないとよくわかんない。

*18:僕はラッパーじゃないので感謝ばかりします。

ジェロルド・レヴィンソン「音楽作品とは何か、再び」

Levinson, J. 2011/1990. "What a Musical Work Is, Again." In Music, Art, and Metaphysics, Oxford: Oxford University Press, 215-63.

長大な論文でした。
分析美学にありがちな結論微修正系の論文。

Music, Art, and Metaphysics

Music, Art, and Metaphysics

 

 

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