病める無限の芸術の世界

芸術に言い訳する方法ばかり考えています。

最近いただいたもの|源河『知覚と判断の境界線』、植村・八重樫・吉川編『現代現象学』

最近いただいたものです。
貧乏だからありがたいという気持ちと、学生なのにいただいてしまって申し訳ないという気持ちです。
僕の周りには色々よくしてくれる人がたくさんいて、その人たちに恩返しをしつつ、僕も下の人達には色々よくしたいなと思う。

一つ目:源河亨『知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用』慶応大学出版会、2017年

知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用

知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用

 

慶応大学出版会の村上さんから、だいぶ前にグッドマンブックフェアの仕事の関連で送っていただいたもの。
僕はフィッシュの訳文が読みにくくて挫折していたので、かなりありがたいのと、特に美的経験のところは読んでおかなければという気持ち。
慶応大学出版は、美学にも力を入れていて偉い。ダントーのTransfigurationも翻訳されるという噂。
*追記:出るっぽいですね。読みたい。

知覚の哲学入門

知覚の哲学入門

 
芸術の言語

芸術の言語

 
The Transfiguration of the Commonplace: A Philosophy of Art

The Transfiguration of the Commonplace: A Philosophy of Art

 
ありふれたものの変容:芸術の哲学

ありふれたものの変容:芸術の哲学

 

 

 

二つ目:植村玄輝・八重樫徹・吉川孝編著、森功次・富山豊著『現代現象学:経験から始める哲学入門』新曜社、2017 

現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

 

これは、研究テーマとも関わるし、マストバイだと思っていたところ、森さんから送っていただいた。ありがたい。
植村さんにはまだお会いしたことがないのだけど、インガルデン研究者としていつかお会いしなければーと思っている。
僕の興味がだいぶオーストリアポーランド哲学に向いてきたこともあって、現象学を通じて存在論、美学などを学べる入門書が出てきたことはうれしい。

Aaron Meskin 教授を招いたワークショップ

近々ですが、8月11日(なんと明日)の9時50分から、東大本郷にて、コミックの哲学やその他の美学的問題に取り組んでいる Aaron Meskin 教授を招いた国際ワークショップがあります。

基本情報は以下。

Workshop: Art & Mind
● 時間:2017年8月11日、9:50-18:00
● 場所:東京大学本郷キャンパス法文1号館215教室
● 言語:英語

午前中は、Author meets Critics という、論文にコメントする形式の発表が二つあります。
僕はこちらに登壇して、複数的芸術作品と事例の関係をテクノロジーという観点から考えたりしてみます。
もう一つは、想像力に関する問題を林さんという科哲の方が扱います。

午後は、三つの研究発表。
宮園さんが想像力に関して、森さんが理想的鑑賞者について話します。
Meskin教授は、美的証言 aesthetic testimony に関して喋られるようです。

詳細は以下です。

Workshop: Art & Mind
● Date: 9:50-18:00, August 11, 2017
● Venue: Room 215, Hobun Buidling 1., University of Tokyo, Hongo Campus
● Language: English

Program
(1) 9:50 - 10:00 Opening Remarks

Author Meets Critics: Aaron Meskin

(2) 10:00 - 11:00 Keito Iwakiri​(University of Tokyo)
Multiplicity, Hybridity, and Historicity: Technology and Ontological Status of Artworks
[Target Papers]
● “Comics, prints and multiplicity” (with Roy Cook)
● “The ontology of comics”
● “Comics as literature?”

(3) 11:00 - 12:00 Yoshiyuki Hayashi​(Saitama Medical University)
Imagination and Its Limits
[Target Papers]
● “Imagination unblocked” (with J. M. Weinberg)
● “Puzzling over the imagination: Philosophical problems, architectural
solutions” (with J. M. Weinberg)


Talks

(4) 13:30 - 14:45 Kengo Miyazono​(Hiroshima University)
Experimental Psychology and Architecture of Imagination

(5) 15:00 - 16:15 Norihide Mori​(University of Tokyo)
How Do/Should We Access the Ideal Critics?

(6) 16:30 - 18:00 Aaron Meskin​(University of Leeds)
The Folk Theory of Aesthetic Testimony


Funding and Support
Heiwa Nakajima Foundation(2017年度平和中島財団外国人研究者等招致助成)
Department of Aesthetics, University of Tokyo

Organizer
Kengo Miyazono (Hiroshima University)
● miyazono[@]hiroshima-u.ac.jp

 

哲学若手研究者フォーラムで発表してました

昨年に続いて、哲学若手研究者フォーラムで発表してきた。

題名とかは以下。

「芸術形式の確立と作品の存在論的性格:版画とコミックの比較から」哲学若手研究者フォーラム全国大会 2017年7月15日

資料などはメールいただければお送りします。

しかし、今回は僕の実力不足というか用意の不足というかで、昨年とくらべてもはるかに出来がよくなかったなぁという感じ。こんなことを言っている時点でよくないのだが。

それでも、論点が自分のなかですっきりしたし、これをどうにかよい方向へと生かせればよいかなと思う。

 

 

グッドマン『芸術の言語』トークショー:担当箇所と資料

グッドマン『芸術の言語』が発売された記念で、ブックフェアが行われています。詳しくは以下で。

新しい古典がやってくる!『芸術の言語』刊行記念フェア「グッドマン・リターンズ」特設サイト| 企画:慶應義塾大学出版会 協力:勁草書房

芸術の言語

芸術の言語

 
Languages of Art

Languages of Art

 

ertb.hateblo.jp

その記念?として、現代の美学を専門としている若手研究者を集めたトークショーが開催され、僕も出演してきました。

以下のURLに情報があったんですが、すでに見られないようです。http://www.utcoop.or.jp/cb/news/news_detail_4595.html
描写、情動、存在論、芸術形式、美的なものという五つのテーマに関して発表があり、僕は存在論を担当しました。
発表資料は以下。
https://researchmap.jp/mu7je4out-1918131/?action=multidatabase_action_main_filedownload&download_flag=1&upload_id=137152&metadata_id=107646

ほとんど同じなのですが、一応使ったパワーポイントの資料もあげておきます。
goodmanevent_slide.pdf - Google ドライブ

終わったあとに、森さんから、「この説明だと、立場の違いや概要はわかるが、その立場をとることで各論者が何を説明したかったのかが十分にわからない」と言われました。

レジュメだと、一応「動機」というとこに書いたつもりだったのですが、反省です。

 

グッドマン『芸術の言語』ブックフェア:担当箇所解説

ネルソン・グッドマンの『芸術の言語』が刊行されて三ヶ月ほど、『芸術の言語』刊行記念のブックフェアが行われます。

以下のサイトに詳細がありますが、私は「芸術作品の真正性」という項目を担当しました。

新しい古典がやってくる!『芸術の言語』刊行記念フェア「グッドマン・リターンズ」特設サイト| 企画:慶應義塾大学出版会 協力:勁草書房

芸術の言語

芸術の言語

 
Languages of Art

Languages of Art

 

 

以下では、あんまりうまくかけなかった解説の補足など。

「真正性 authenticity」というのは、簡単にいうと何かが本物であること。

この真正性という概念は、主に芸術作品の存在論という分野で研究されている。
なぜなら、何かがその何かであること(同一性)というのは、存在論で研究されることが多いからである。たとえば、まったく異なる聞こえを持つ二つの演奏が、その違いにかかわらずなぜ同じ作品に属するのか、など。何がその作品の本質で、何がその本質でないのかを、芸術作品の存在論は問題にする。

真正性という概念は、音楽作品における分析を筆頭に、贋作・複製、アプロプリエーションなどの領域で議論されている。少しずつ見ていく。

まず、真正性という概念はとりわけ音楽作品に関して議論されてきた。
なぜなら、音楽作品という複数的芸術作品は、同一性条件を定めるのが難しいから。なぜ同一性条件を定めるのが難しいかといえば、事例ごとにほとんど違いのない文学作品などとは違い、音楽作品の事例である演奏にはかなりの違いがあるから。
そのため、多くの芸術の存在論者は、音楽作品を個別化するための条件について議論してきた。
一方で、音楽学者たちは、1970年代くらいから、音楽作品の歴史的に最も正しいとされる演奏とはどのようなものであるべきかを考えてきた。それが、historically informed performance とか、historically authentic performance と呼ばれてきた。
そのため、音楽学や音楽美学は、この概念と同一性や例化や個別化に関わる意味での真正性をどう接続するのかという問題も扱ってきた。
これに関しては、今のところ選書した『ニュー・ミュージコロジー』所収のゲーア論文とキヴィ論文くらいしか日本語でアクセスできるものがない。いずれ音楽学の人とかと研究して論文にしたい。 

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

  • 作者: 福中冬子,ジョゼフ・カーマン,キャロリン・アバテ,ジャン= ジャック・ナティエ,ニコラス・クック,ローズ・ローゼンガード・サボトニック,リチャード・タラスキン,リディア・ゲーア,ピーター・キヴィー,スーザン・カウラリー,フィリップ・ブレッド,スザンヌ・キュージック
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2013/04/28
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログ (8件) を見る
 

その同時期に、主に芸術哲学の文脈で、贋作論が少しだけ流行っていた。
これは明らかにグッドマンが提示した「完璧な贋作 perfect forgery」の問題に端を発している。これに関しては、ぜひ『芸術の言語』をとってどのような想定をグッドマンがしていたのかを見てほしい。
作品の存在論の隆盛、グッドマンやダントーというビッグネームが贋作や複製と同一性の問題を扱っていたことなどが、この小さなはやりを作ったといえる。
日本語で読むには、私の卒業論文を読むのが最もよいと思う。メールください。

ertb.hateblo.jp

そして、近年はアプロプリエーションアートが芸術の存在論の文脈にのりはじめ、真正性概念の研究は徐々に復興しつつある。
アプロプリエーションアートは、簡単にいえば、別の作品と見た目がほとんど変わらないのに、別な作品だとされているもの。シェリー・レヴィーンや、ウォーホルなどが代表例とされる。
僕はやはり美学者としてなんらかの芸術事象に動機づけされていない問題を面白いと感じているので、近年のコンセプチュアル・アートやアプロプリエーション・アートの美学的考察の隆盛はよいと思っている。
こちらも残念ながら日本語ではまだ何も読めそうなものがない。

 

とりあえずばばっと書いたので、あとで追記する。

卒論を書いたことなど。

めっきりこのブログを放置している間に卒論が完成していました。

岩切啓人. 2016. 「複製可能な芸術形式とその基準——ネルソン・グッドマンの区別を再定義する」東京藝術大学美術学部卒業論文.

芸術作品の存在論です。分析系です。それも、ネルソン・グッドマンという方の芸術作品の存在論の問題をやりました。グッドマンを選んだ理由は色々ある。まず、芸術作品の存在論で大家になっているのはグッドマン(Languages of Art)かウォルハイム(Art and its Objects)かインガルデンUntersuchungen Zur Ontologie Der Kunst: Musikwerk Bild Architektur Film)くらいしかいない。あと分野的に偉いことをやってる人は、スティーブン・デイヴィスやデイヴィッド・デイヴィス、グレゴリー・カリー、エイミー・トマソンなどなどいるが、大家感があんまりない。特に、ウォルハイムは結構偉いはずなんだけど、日本ではほとんど知られていないので選択できなかった(英語も難しいし)。インガルデンはぜひやりたいが、そのときは仏語受験するつもりもあったしで、やめた。勉強はしていたし、それで論文を書くつもりもある。もうひとつの理由として、僕自身があんまり芸術作品の存在論的カテゴリの話に興味がない。それは人工物一般で論じればよいだろうという気持ちと、芸術形式ごとに全然違うやろみたいな気持ちがあるからでもある。僕はもっと芸術特有の話、真正性とか複製とか贋作とかそういうところに興味があったので、結果的にグッドマンになった。グッドマンは芸術形式の区別を多元論的に見るのがすごいうまい人なので、結果的にはよかった。付言的な理由としては、芸術形式をいっぱい研究しているのと、グッドマンは描写の哲学でも仕事をしているので、それもよかった。これからさきの勉強につながりそう。

僕としてはそこそこよいものが書けたのでは?と思っていましたが、院試の面接で論証スタイルや議論の方針などについて色々突っ込まれました。論証をするときには敵をたてたほうが強度が高まるとか、否定した論者を最後再評価するとよいとか、普通の論文のスタイルのはずなんですけど、僕はそういうのがなかなかできてなかったみたいです。残念や。

中身はばらして論文化する計画があるので、ここでは公開しません。オートグラフィック/アログラフィック芸術という区別とはなんぞやという論文です。連絡をくれればお送りします。
連絡先:keitoiwakiri@gmail.com もしくは @ertb_ertb 

今はアプロプリエーション・アートだったり、JASRAC問題で著作権関係があつかったりなので、僕ももっと研究していけたらなと考えています。とくに、いまだにベンヤミンで複製を論じるのはもう時代遅れやということを声高に主張していきたいです。

ご恵投:ネルソン・グッドマン『芸術の言語』戸澤義夫・松永伸司訳

慶應義塾大学出版会様より、ネルソン・グッドマン『芸術の言語』戸澤義夫・松永伸司訳を頂きました。皆様ありがとうございます。

原本はこれですね。

Languages of Art

Languages of Art

 

この本以降の接続や翻訳の経緯などは、訳者の松永さんのこれを読んでいただければよいと思います。

9bit.99ing.net

この本は、言うまでもなく、20世紀英語圏美学の本5つ挙げろと言われたら100%入るような本でしょう。実際に現代美学界をリードするノエル・キャロルも挙げている(The Philosophy of Art - Five Books)。ちなみにこのインタビューはなんとなく面白いです。仏独伊語でもとっくのとうに翻訳を出してますし、特にフランスではグッドマンから影響を受けた分析美学者がそこそこいます。

僕は具体的には第三章、第五章、第六章の訳文チェックと用語リストの下書きを作りました。ちょっとだけしか見てないですが、僕の訳語が採用されているところもちらほらありそうです(score 譜とか)。

とりあえず、皆様お疲れ様でした。みんな読みましょう。読むために買いましょう。高い場合は図書館に買ってもらいましょう。

カロル・タロン=ユゴン『美学への手引き』のグッドマンのところ

カロル・タロン=ユゴンの『美学への手引』(文庫クセジュ、2015年)のやつを読みました。まぁ読みやすさはあるけど、たぶん原著ではこれは「(任意の哲学ターム:例えば外延とか)」のことを言っとるんやろなーという語に一般的でない訳語があてられていたり、訳は読みやすさ偏重だなという感じです。

自戒も込めてだけど、なんていうか美学の人は20世紀の人(主にフランス人やドイツ人の)の理論をコネコネして作家や作品になんか語った気になるのではなくて、ちゃんとまず足場になる哲学を学ぼうよという気持ちになることが多々ある*1。ので学んでいるしもっと学びたいと思っている。

まぁ、分析美学の扱いが微妙だというのは知っていた(↓)のだけど、こういう訂正は誰かが入れておかねばならんだろうと思ったのでいれます。

 

くだんの箇所は、p. 123の最後の段落。

たとえば、ネルソン・グッドマンは反本質主義者として、ひとつの対象が美的であるのは、それが五つの「徴候」ないしは指標によって性格づけられるような仕方で象徴的に機能するときだ、と考えます(『世界制作の方法』1978年)。五つの徴候とは、①文脈の厚み、②意味の厚み、③飽和、④範例化、そして⑤多重参照です。ユゴン『美学への手引』(p. 123)①〜⑤は僕が振りました。

原文を確認していない(*追記:しました)のであれですが、グッドマンのいう五つの「兆候」とは、統語論的稠密、意味論的稠密、相対的充満、例示、多重で複雑な表示、です(Goodman, Ways of Worldmaking, 67-68. 和訳, 130-131)。

上から、どのような二つの符号(記号)の間にも三の符号(記号)が存在すること、対象のあらゆる違いをあらわす符号が必ず存在すること、記号のより多くの側面が有意であること、表示が単純でないこと、をそれぞれざくっと意味しています。詳しくは、和訳の前掲ページに説明がのっているので、それだけでも読めばわかると思います。詳しくは今度出るであろう『芸術の言語』の翻訳を見よう。

訳に関して。原文に出てくる引用された文献を原書で読めとはさすがに言いませんが、和訳が存在するうえにそれを文中でしっかり「参照」しているのにこのような訳になっているのはまったく意味がわからないですね。さらに、density[原仏文ではdensité]を厚みとか repleteness[仏:saturation]を飽和とかはわかります*2が、統語論syntacticを文脈、例示exemplifyを範例、表示referenceを参照にしている時点で、訳者の哲学の素養をかなり疑っています。

原文に関して。僕の中でグッドマン美学の主要な「うまみ」は、描写の哲学と存在論の二つにあって、それぞれグッドマンの記号主義的美学が色濃く現れているところだと思うので、そこを引かずに「美的なものの兆候」っていうマイナーなとこを引いてるというだけで、「あ、グッドマン読めてないのでは」という気がしないでもないです。まぁこれは愚痴です。それよりも、ワイツの芸術の定義のあとにこれ出しても「???」という感じにしかならんやろ…というのがでかいです。グッドマンはそもそも芸術を明確に定義することを避けているし(「何が芸術か?」から「いつ芸術か?」に転換させたことを思い出す)、美的なものと芸術をともに記号システムから説明しているけど、明示的に同定はしてない。「美学は美・感性・芸術から成る!」とかいっといてその美的なものと芸術の定義を分けて理解できてないのは結構やばい。

グッドマンは仏語圏だと積極的に紹介している二人の論者がいて、Roger Poivet と Jacques Morizot といい、特に Morizot は仏語圏の分析美学第一人者圏グッドマン紹介者で、グッドマンに関する単著・共著を3冊も出してるのに。

これ以上は愚痴になりそうなのであれですが、やっぱ日本語訳が出ているものくらいは翻訳する際に参照したいですよね。というか全部参照するのが研究者の仕事やろという気がします。

*追記
もう一本日本語論文でこのような誤りをしている論文があったのですが、それは紀要論文だしグッドマンの哲学に興味のある人しか読まないだろうし、グッドマンの哲学に興味のある人なら分かる誤りから成り立っているので、そちらはほっときます。

*1:美学ではなくて最近はやりの近隣の領域ではないか?とか、しっかりとした研究に基づいたそのようなコネコネもあるという反論はもっともだと思います。そういうのは念頭においてないです。あとよくわからんのは、哲学や美学の人がよくやりがちな、ある哲学者の原典以外には参考文献が1つや2つしかないみたいな発表や論文。昔の論文だとこういうの多く見ますね。

*2:仏訳がrepletenessをsaturationにした意味はわからんけど。

ベンヤミンのアウラとグッドマンの区別

ベンヤミンアウラという概念が昔から嫌いで、アウラをよく知らずに云々する我が大学の(主に実技の)諸先生方も嫌いでした。

けど芸術の存在論で真正性について取り組んでいる身として、アウラ概念に関しては考えねばならないと思っている。

グッドマンの発表をした後に、色んな方からこれって結局アウラ芸術とアウラない芸術の違いなんじゃないのとかも言われたりしたので、それについて色々考えました。

色々考えた結果をさくっとだけまとめておきます。

まず、ざくっとだけベンヤミンの複製・アウラ観についてまとめます。
ここで間違っていたらあとの議論もあれになってしまうのですが、ベンヤミン研究はやっていないのでそもそも論外な可能性があります。*1

ベンヤミンが言う複製の射程

  1. 芸術作品の複製:いわゆるモデル-コピー関係のコピーにあたるもの、模写など色々を含みます(邦訳*2 p. 10)
  2. 芸術作品の複製事例の制作:これはたぶんさらに下位分類を持ちます。下の分類はリトグラフで分けられるとは言っているけど、①と②の内実はそれぞれグラデーションだと思います。きっぱり分かれてない*3
    ①版画などのいわゆる機械的複製でないもの:ベンヤミンが言うにはリトグラフ以前のもの(邦訳 p. 11)*4
    ②写真や映画などの機械的複製:かなり精密にかつ大量にかつ迅速に行われる複製*5
  3. 自然に対する芸術による複製:諸芸術が再現(representation)するときの再現される対象の複製(邦訳 p. 17)。いわゆる模倣。

ベンヤミンアウラ観(価値の見方*6

  1. 一回性:アウラは、本物が「いま」「ここ」にあることで性質である。本来ある時空間的な座標にあることで持つもの(邦訳 p.15)。
  2. 礼拝的価値の数量的依存:礼拝的価値は、アウラを持つものに対するわれわれの観賞が多ければ多いほど(簡単であればあるほど)下がり、少なければ少ないほど(難しければ難しいほど)上がる(邦訳 p. 21)。そのため、展示可能性の高い絵画(タブロー、移動できる)ようなやつは、演劇などに比べると礼拝的価値が低い。

②と礼拝的価値の数量的依存としてまとめたところにポイントがあって、実はグッドマンの区別とベンヤミンの違いはここにある。

グッドマンのアログラフィック芸術[allographic art]は、アログラフ[異書体]という文字からわかるとおり、ある芸術家が制作した特定の事物とは異なる形や性質を持つものでも、同一性が保持される芸術のこと。

②の機械的複製は、どう考えてもあるオリジナルから制作されるもので、どの真正な事例をとってもどこかでオリジナルに行き着くはず(それはたぶんデータで制作された映画とかもそう)。そのため、アログラフィック芸術ではなくオートグラフィック芸術に属するはず*7

一方で、礼拝的価値の数量的依存を鑑みると、②が圧倒的に礼拝的価値を少なく持つことがわかる。そのため、オートグラフィック芸術に捉えられるべき写真や映画は、アウラをほとんど持たない芸術だと言える。

感想

最初は、この区別と一致させる方向で考えて、色々考えてみたのですが、無理っぽいです。無理なポイントが二つあって、ベンヤミンが音楽と文学に関してほとんど見解を示していないことと、その見解がめっちゃしょぼいこと。

明らかにベンヤミンは音楽ではオリジナルを演奏と捉えている一方で、版画では製版をオリジナルと捉えていたり、そもそも印刷技術によって爆発的に広まった文学についてほとんど言及していなかったりで、この二つを典型例として持つアログラフィック芸術とは対比しにくかった。

なにはともあれ、これはまだ考え始めたところなので、これからも色々考えていく。

Languages of Art

Languages of Art

 

 

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

 
複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

 

 

 

*1:さらに分析系の手法でやりますので、ベンヤミンの論を解体しているなどのご指摘を受ける可能性があります。

*2:邦訳はクラシックスのやつです。

*3:ベンヤミンの複製事例論はかなり微妙で、これらの複製が同一性を担保すると考えていたかどうかは微妙です。全ての複製は一回性持たない(邦訳 p. 12)ということは、ある美的ないし芸術的価値を欠いているわけで、その点で言えば別の作品になると思いますが、複製は同一の作品を大量に出現させるとも言っている(邦訳 p. 15)。

*4:ベンヤミンは、版画などでは製版をオリジナルと捉えている一方で、事例を複製と言っていることからもわかる。まぁ明らかに事例以外のものをオリジナルと想定するのは甚だおかしいが。

*5:ちなみにベンヤミンは、この2に属するものには真贋が問えないと言っていて、それは本当にあり得ない考えなのでやっぱベンヤミンの複製に対する考えは全く緻密でも精密でもないと思う。

*6:とりあえずここではアウラを価値概念として想定してます。

*7:写真や映画のオートグラフ/アログラフ性に関しては寡聞にして知らないのだけど、少なくとも僕の定式化ではオートグラフィックになる。

2016年度哲学若手研究者フォーラム:「複製不可能な芸術形式とその基準」

題の通り、哲学若手研究者フォーラムで発表してきました。
researchmapとか個人サイトとかないんでここに資料あげときます。

「複製不可能な芸術形式とその基準――新しい芸術への適用可能性――」
12MBあるので携帯の方とかご注意ください、あとベン図は誤ったベン図だし誤字脱字もいっぱいあります。論文化できたらもっといい感じの論文にしたいです。

ざくっと内容を述べると、グッドマンのオートグラフィック/アログラフィック芸術の区別って、贋作可能性にしろ記譜法にしろ何にしろ、もっと明瞭化が必要だよね。ってのをやりました。

あと自分の定義も出してみたのでそれやれてよかった。

Languages of Art

Languages of Art

 

 

以下雑感。

・まず楽しかった

まず二日間フルで参加して、勉強になり楽しかった。
何よりも、あ、学会発表ってこういうふうに行って、それに質問者はこういうふうに対処するんだなってのがよくわかった。
美学会にいったときは、なんかよくわからん質問とかが多かった記憶があるので。単純に僕の議論レベルが少しだけ上昇しただけという話かもしれないけど、少なくとも分析系の哲学の議論argumentってああいうもんだよなという実感があった。

・初めての学会発表で緊張した。
 のとお金がかかるのがわかった。

自分の研究室は研究発表の資料が印刷できないので自腹を切ったが、かなりかかる。大型の学会だともっとかかるだろうから、それは改善しなきゃいけない。
あと原稿読み上げ形式で作ってたら文字数長くなっちゃったのでフリースタイルで発表したのですが、それのほうがよかったかもしれない。次からはその点も踏まえて、コンパクトなレジュメにすればいいかもしれない。

・意外と平均年齢が高かった

僕は若手フォーラムという名前だけあって、修士・博士の人がほとんどで、一部の学部生とポスドクという感じかと思っていましたが、博士・ポスドクが一番多かったような気がします。
だから何というわけではないですが、若手フォーラムはすごくいい学会だったので、なんでもっと若年の人は参加しないのだろうと思った。というか哲学をやっていて若手フォーラムに参加しないという人はなんなのだろうかと思った。

セオドア・グレイチック「音楽と情動」

Gracyk, T. 2013. On Music. NY: Routledge.
Routledge から出てる Thinking in Action シリーズの音楽本。
勉強会で読んでます。
今回は第三章で、音楽と情動に関する章。

On Music (Thinking in Action)

On Music (Thinking in Action)

 
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デイヴィッド・サマーズ「様式」

David Summers, “Style”, in David Summers, Real Spaces: World Art History and the Rise of Western Modernism (London: Phaidon, 2003), 68–72.

英米圏の超安牌アンソロジー所収の論文です。
ずっと美術史に興味があるので、これはいい本だと思ってます。

The Art of Art History: A Critical Anthology (Oxford History of Art)

The Art of Art History: A Critical Anthology (Oxford History of Art)

 
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哲学若手研究者フォーラムで発表します

*追記(2016年6月8日 一部誤りがあったので訂正しました。)

題の通り、哲学若手研究者フォーラムで発表させていただくことになりました。
学部生で発表させてもらえるところは少ないので、大変ありがたいです。
けど、過去にも学部生で発表したことある人いるって聞いてたので何気なく申し込んでみたのに、Twitterの反応が「学部生で発表か、ほう」みたいな感じなので一気にぶるってきました。

内容としては、グッドマンのオートグラフィック/アログラフィックな芸術形式の区別ってなんぞや?ってのをやります。
その際に、贋作云々言ってきたのって全然うまく分節できてないんじゃない?そこ分節した上で問題圏を確定してから話をしようぜ。そんで複製の真正性の基準って結局古い芸術だけに通じるもんなんか?ってのを考えます。

まだ要旨は発表されていないのですが、僕の大変な勘違いで発表予定のものとかなり異なる要旨が出るはずなので、以下のものを見ていただけると助かります。

要旨

 芸術哲学は、芸術鑑賞が真正[authentic]であるかを問う際に、何が真正であるのかと、どう観賞すれば真正であるのか二つを問うてきたと言える。何が真正であるのかという問いの一つは、ただの贋作[forgery]や模造品[imitation]ではなく、真正であると認められる事例とはどのようなものなのかを探求してきた。その最初期の、かつ影響力を持った試みの一つに、ネルソン・グッドマンが提唱したオートグラフィックな/アログラフィックな芸術という区別が挙げられる。
 本発表は、グッドマンが『芸術の諸言語』において提起したオートグラフィック/アログラフィックな芸術という区別を吟味し、再定義することを目的とする。グッドマンの議論は、絵画などの芸術では贋作は可能だが、音楽などの芸術では贋作は不可能であるという直観から始まる。グッドマンは、その直観に従って、芸術を贋作可能なオートグラフィックな芸術と贋作不可能なアログラフィックな芸術に二分した。本発表は、同様の直観から、元々の区別と共外延的ながらそれ以外の芸術形式にも適用できるように、この区別の基準を精査することをめざす。グッドマンの議論はその後多くの批判に遭うが、それはこの直観による区別を理論化する際に持ちだした記譜法[notation]を用いた議論に瑕疵があるためである。しかし、グッドマンの記譜法の議論に見られる誤っているが鋭い洞察は、芸術作品の同一性に関与する特徴と関与しない特徴の分別可能性という、異なる区別を指摘している点で意義深い。
 本発表の流れを示す。第一章では、グッドマン自身がどのようにこの区別を規定していたのかを『芸術の諸言語』を中心に観察し、先行研究を踏まえることで、仮の定義を行う。その段階で、記譜法のみによる定義は捨象されることとなる。第二章では、グッドマンの外延を正しく保持するために必要な作用域を設定する。贋作は三つに意味に分けられ、グッドマンの指示した贋作は本質的参照贋作という意味しか持っていないことがわかる。第三章では、この区別の基準の反例ないし境界事例である機械的複製、デジタルイメージ、コミックをそれぞれ取り上げることで、第一章で行った仮の定義をさらに洗練する。結論として、オートグラフィックな芸術作品とは、オリジナルをその芸術形式に標準的な手法、道具、原料で直接転写した対象が、同一性に関与する特徴をすべて持つことができない芸術作品のことである。

上記の情報はすべて暫定なのでご注意ください。
どうぞよろしくお願いします。

セオドア・グレイチック「言葉と一緒に、言葉を離れて:理解して聴取する」

Gracyk, T. 2013. On Music. NY: Routledge.
Routledge から出てる Thinking in Action シリーズの音楽本。
勉強会で読んでます。
今回は第二章で、音楽の理解に関する章。

On Music (Thinking in Action)

On Music (Thinking in Action)

 
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アーロン・メスキン「コミックの存在論」

Meskin, Aaron. 2012. “The Ontology of Comics.” In The Art of Comics: A Philosophical Approach. eds. A. Meskin and R. T. Cook, 31–46. Oxford and Malden, MA: Wiley-Blackwell.

某読書会で読んだのであげときます。

メスキンとクックのコミック本のやつです。

ラウトレッジからカンパニオンも出るらしいのでそれも気になっている。 

The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics)

The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics)

 

 

The Routledge Companion to Comics (Routledge Companions)

The Routledge Companion to Comics (Routledge Companions)

 
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